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2016年12月 1日 (木)

宝尾の宝篋印塔

R0010741櫻井氏の先代が建立した供養碑(川上)

六波羅探題陥落の報を受け味方が次々脱落、あまつさえ敵方へ寝返る中、最後まで主君に付き従った79名の一族・忠臣の名が刻まれています。

 

「宝尾にある先祖の墓参りをしたい」という方がいる。
ついては宝尾にあるというその墓まで、その方を案内してもらえないだろうか…
というご相談をN女史より受けました。
お名前を尋ね、場所の見当がついたのでお引き受けし、11月26日の土曜日、宝尾までガイドしに行ってきました。


目的地は宝尾権現の参道脇にある古い宝篋印塔。
川上の櫻井家の祖、櫻井権正兼保が建立したと伝わるものです。
依頼者はこの櫻井兼保のご子孫で、昔川上から転出された本家筋(喜右衞門)の方でした。同行はN女史に仲介された高浜のモンコ氏。

櫻井氏は何度か宝尾へ奥さんと2人で登ることを試みられたそうですが、道が分からず、あまりに厳しい斜面行を強いられた奥さん途中でブチ切れ。テコでも動かなくなり、結局辿り着けず終い。困り果てて山の会のモンコ氏に同行を頼まれ、モンコ氏は川上の地理と山道に明るくないので同じ山の会のN女史(川上在住)に頼み…という経路らしい。


さて、名越(なごえ)時有という名をご存知でしょうか。

鎌倉時代末期の武士で、従五位下左近将監・遠江守・越中守護。
鎌倉時代、執権として権勢をふるった北条氏の有力支族で、北条時有とも表記されます。
櫻井権正兼保はこの名越時有の譜代家臣でした。1333年の鎌倉幕府滅亡の折、主君から嫡子〝宗女之助〟を託され、自身の嫡子〝丹宮〟を宗女之助の身代りに残し、越中からこの地へ落ちてきたと伝わっています。(櫻井名字先祖伝記)
主君名越時有は、一族の女房子供が海中へ身を投じるのを見届けたあと、最後まで付き従った家臣達と共に城に火をかけ自刃して果てました。

一方主君の遺児を連れた櫻井兼保は、三方郡の坂尻、名田庄の納田終を経てこの川上に辿り着き、ここに居を構えます。地縁のある九州探題や各地の守護らに応力を頼み、再び天下をひるがえして名越の家を立てよ、との遺命を受けて当地に潜伏していたのですが、宗女之助は2年後の建武2年(1335年)6月に熱病に罹り、翌7月に病没してしまいます。

同じ頃、信濃では得宗家の遺児北条時行を奉じて中先代の乱が勃発。これに呼応して越中でも名越時有の遺児〝名越時兼〟が挙兵しました。名越時兼は杉本城を拠点に新政に不満を持つ武士達を糾合、三万余騎を率いて上洛を目論むも加賀・越前勢に阻まれて敗北し、大聖寺城にて討たれます。
これが1335年の8月のこと。



奇しくも同年のほぼ同時期に亡くなった名越時有の遺児〝宗女之助〟と〝名越時兼〟

時有には9歳と7歳の男子があったということですが、母子共に入水したのではなかったのか?

ひそかに落ちのびた宗女之助が病没したのなら、その同時期に越中で挙兵した〝名越時兼〟とは?

このあたりの事について以前から疑問に思っていたこともあり、当日は櫻井氏に初めてお会いして挨拶もそこそこにお訊きしたところ、越中で挙兵した名越時兼とは、先祖櫻井兼保が身代わりに残した嫡子丹宮であるとのこと。北条氏の通字「時」と実父兼保の「兼」から〝時兼〟と称したというのです。

櫻井家に伝わる文書「櫻井名字先祖伝記」によると、宗女之助が亡くなる4ヶ月前の3月、故郷から兼保の妻子が訪ね来て、落城の次第やその後主君らの怨霊が出ることなど、越中の状況を伝えたとされています。

これは想像ですが、妻子が訪ねて来たというのは、近々信濃の挙兵に呼応して越中でも蜂起する段取りであるから、急ぎ宗女之助の帰還を請う知らせであったのかも知れません。しかし宗女之助は熱病に倒れて帰還叶わず、やむなく身代わりの丹宮が、名越時有の遺児〝名越時兼〟を名乗って挙兵した…。


そんなことを考えながら、ゆっくりと時間をかけて宝尾まで登り、目当ての宝篋印塔まで無事たどり着きました。(宝尾は相変わらず竹が倒れまくっていて歩行困難!)

櫻井氏は街の方なので山道はまったく慣れておられない様子。もっと若い時に一度案内されて来たときは、宝尾に着いた途端に案内人があちこち勝手に見に行ってしまい、一人竹藪に取り残されて相当心細い思いをされたとのこと。

そのおかげで道中さんざん「バラバラにならないでくださいよ、くれぐれも皆見える範囲で動いてくださいよ、お願いしますよ…」と何度も何度も釘を刺されました(笑)

R0010747自作の説明看板を石塔の傍に立て、記念撮影

名越時兼(櫻井太郎時兼)の墓を求めて大聖寺城まで行かれたそうですが、残念ながら墓は見つからず。名越時兼の名だけが今も残り、身代わりとなり命をかけて立った櫻井時兼の名は歴史の間に消え去りました。この事に少なからず寂しい気持ちを持っておられるご様子でした。

看板の文

名越太郎時兼(幼名宗女之助)の墓
「一三三三年に越中から川上に落ち延びるも熱病にてこの地にて一三三五年歿す 櫻井権正兼保が墓を建立 越中にて身代りとなりし櫻井太郎時兼(幼名丹宮)は北条時行に呼応して三万騎にて挙兵するも(中先代の乱)大聖寺城にて一三三五年討死。そっちの墓は不明」

2016年11月30日 (水)

イルミネーション点灯

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11月27日、川上青年団によるイルミネーションが点灯しました。

去年の反省を踏まえ、今年はだいぶ爽やかな色合いに(笑)

2015年12月14日 (月)

今年のきのこ模様

R0010491

またきのこか、と言われるかも知れませんが…。

 

9月某日。

「名田庄は10日ほど前に松茸が出た…」「今年は去年より早い…」

そう聞きつけた父に同行し、松茸採りに出かけました。

数年前に一度行った場所ですが、以降の降雨災害によって新鞍林道はズタズタになり、林道奥の区間は未だ通行止め。

そのため古い山道を、ふもとから徒歩で黙々と登ります。

軽トラで林道を行けるところまで行き、そこからは積んできた自転車で目当ての場所まで行くという方もおられるようです。

R0010498

目前の大きな木の先が林道

山歩きは嫌いではないけれど、年齢と体重の増加のせいで最近登りがとてもしんどい。

こういう時、林道のありがたさを実感する。

ふもとから林道の通行止め区間に取り付くまで約40分、そこからは数カ所のポイントを一回りするお決まりのコースです。

R0010547

車で来ることができないためか、ここまで来る人は少ない様子。

期待に胸を膨らませてしんどい登りを耐え、

そして収穫が無ければうなだれて下山する。

そんな時ほど虚しいものない…。

 

R0010556_2

こんな心踊る瞬間を待ち望みます!

所要時間:朝8時過ぎ自宅発〜午後3時すぎ帰宅。結構くたびれた。
成果については秘密。

 

 

 

  ………

 
そして11月某日。

昨年N女史に案内され、天然なめこ目当てに登った某山。

予定していた用事が流れて不意に1日空きができ、しかも天気も良好そう。

朝、目が覚めて居ても立ってもいられず、急遽登ることを決意。

本当は前の週に妻と娘を連れて行くつもりだったのですが、生憎の雨でお流れになっていました。

息子を始発の電車で送り出し、今まさにもう一度床に着かんとする妻におもむろに出発を告げればどういう反応を返されるかは明らか。


そこで耳元でこう囁くのです。

「なめこ採り、行ってくる。ひとりで。」

「弁当は、いらん。」


登山口に人気はありません。

11月も半ばを過ぎていますが、まだ山の空気は去年ほど肌寒くない。

歩き始めてすぐにジャケットがいらなくなり、長袖の化繊Tシャツだけで充分な状態に。

キツい、暑い、苦しい。

山道を登ること1時間とちょっとで山頂に到着です。

今年はまだ気温が高いせいか、眼下に雲海はなし。

道中に買ったコンビニおにぎりで昼食を済ませ、早速下山開始。行きと帰りは別コースで、この帰りの尾根を回る途中になめこが生える場所があるのです。

R0010602

尾根道をひとり黙々と歩く

R0010598

…山の神様ありがとうございます。

去年は既に時期を過ぎていた木に、今年は採りごろのなめこがびっしり。

反対に去年採れた木からは収穫なし。

松茸は去年より早かったけれど、どうもなめこは遅いようです。

しかも生えていた木は2本だけでした。

よかった…、先週家族で来ていたらボウズだった可能性大。

R0010600

木の幹にブツブツしているのがなめこです。生えている位置が高すぎて残りはとても採れない。

この日のなめこは、炒め物となめこおろしと味噌汁で美味しくいただき、残りは冷凍保存。

所用時間:朝8時自宅出発〜午後3時前帰宅

2015年12月11日 (金)

下坂と作業道

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11月23日
新嘗祭のあと、作業道工事中の下坂へ。
ふもとからの作業道が支尾根を越え、菅郷(スゴ)谷の方まで伸びていっているというので、どの辺に道が付いたのか、古い坂道はどうなったのか、一度見ておきたくなった。

R0010630

迫に行き当たるあたりまでは山側から滲み出た水で
道はひどくぬかるんでいて、長靴でないとまともに歩けない状態です。

R0010605

迫から左手へ鋭角に折れると、すぐに旧道の残骸を確認。

R0010606

その先で道は二方向に分岐。
右が旧下坂方向、左へ行く方はどこまで伸びているのか。
下坂の地蔵がどうなっているか気になったので右へ。

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もうすぐ尾根

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尾根から菅郷へ下りる作業道

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尾根筋を少し登っていくと下坂を発見

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作業道から150mくらい尾根を進んだあたりでお地蔵さんを見つける。
以前に来た時は尾根の中途半端な位置にあるお地蔵さんだなと思っていたが、考えてみるとここから右手へ下りれば福谷になる。
ここは川上と福谷の境だということに今日やっと気づいた。

もうひとつ気づいたこと。
4年前に宝尾から上坂~下坂を歩いた時にはあった首なしの古いお地蔵さんが見当たらない。
写真を撮っているときには首なし地蔵のことを忘れていたので、ひょっとすると足元あたりに転げていたのかもしれない。

R00139644年前に撮った写真(12月)



お地蔵さんからは来た道を引き返し、作業道へは戻らずにそのまま旧道を下っていく。
道は間伐された木が転がり歩きにくく、またすぐに作業道によって寸断されていた。

R0010621

下っていく途中、なんとなく見覚えのある木を見つけた。
作業道が付く以前はあまり光が差し込まず、薄暗い中で出会うこのいびつな木は、どこか神秘的で印象に残ったのだろう。
間伐によって辺りが開け日にさらされるようになると、とたんに神秘性は剥ぎ取られ、奇妙な形をしているただの木になったように感じた。

R0010626

分岐を左に行くと、伊右衛門を過ぎたあたりまで道は付いていました。

2015年1月 5日 (月)

謹賀新年

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当面不定期更新となりますが、なにとぞご容赦くださいませ。

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