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2009年1月25日 (日)

峠道 菅の坂

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峠の古和木側は落葉の積もったとても美しい道です

かつてこの峠道は綾部の上林から小浜へ抜ける近道だった様。菅の坂を越え石山でバスに乗り本郷へ、本郷から汽車で小浜へ。

人が歩かなくなり40有余年。炭俵を4俵背負い、毎日4往復された方でさえ皆目判らず峠道は消え失せています。

そこで田井谷川を詰めて登ります。田井谷林道終点より少し歩き谷に入り、川に沿い歩き始めると直ぐ右に谷を分けます。一寸道草ですがその谷を少し登ると次から次へ滝が現れ、それで滝ヶ谷と云うのだそうです。

本道に戻り、更に田井谷川を遡りますと、小脇谷と山の神谷の出会いに突き当たります。小脇谷にはその昔神社があったという伝説があるそうです。
そこから向かって左側の山の神谷の尾根に取り付き、急登30分位で登り詰めれば林道に出ます。
抉られた林道(黄色のテープ有り)の壁を攀じ登り右側に巻くと古い峠道が現れ、林道から15分位で菅の坂のお地蔵さまに会えます。

菅の峠は平坦で広い台地。炭焼きに訪れる人も無くなり、ナラ・クヌギ・オシャラ等の雑木の美しい森になっています。古和木へと下る道は今にも誰かが歩いて来そうな程、落葉の敷き詰められた美しい道です。

時の流れと共にこの峠道を利用する人も無くなり、次第に荒れ果て峠道の大半は消えてしまったようです。
たかだか40有余年前まで240kgもの炭俵を背負い通われたあの峠道が生きた道だったとは信じられません。

峠のお地蔵さまだけが今も昔も変らず静かに佇んでおられる菅の坂です。

(中垣)

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峠のお地蔵さまの傍らで記念撮影

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峠の川上側

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峠の古和木側

                         ・・・

川上の峠道についてweb用に資料を集めていたところ、どうしても判らなかったのが菅の坂のルートでした。登り口のあたりが広範囲に渡って消失していたためです。そこで若い頃峠を越えて炭焼きに通われたという淳先生にお願いして、坂の案内をしていただくことに。写真と記事はその時(平成19年6月)のものです。淳先生は当日風邪をひかれており最悪のコンディションだったはずですが、快く最初から最後まで案内してくださいました。また帰りに林道まで迎えに来ていただきました喜兵衛さま、その節はお世話になりました。この場をお借りして改めてお礼申し上げます。ありがとうございました。

菅の坂で印象的だったのは、峠のこちらと向こうで道の表情ががらりと変るということ。ヒノキやスギの植林された川上側は薮になりがちで快適とは言い難い状態でしたが、峠を越えると雑木林となり、いまでも通う人がいるのではと錯覚するほどきれいな道が残っていました。残念ながら5分ばかり下るとあちこちで地滑りによって道が寸断され、谷に下りる前に道は消失しています。そんな状態でしたが淳さんは谷まで下り、若かりし頃に通われた炭焼き小屋跡まで行かれました。
ここまで来るのはほんまに久しぶりや、そうおっしゃっていたのが心に残ります。(編)

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峠道 菅の坂を参照しているブログ:

コメント

川上通信様
綾部の山々を機会あるごとに歩いています。
貴ブログ、楽しく拝見させていただき、いつもお世話になっております。
先日、菅の坂に行ってきましたが、お地蔵さんが?礎石みたいな石があるだけで、どこに行かれたのか、ご不在でした。
https://yamap.com/activities/7137877
お地蔵さんの消息ご存じないでしょうか?
峠道はしっかり残っているところもあり、機会があれば通しで歩いてみようと思っています。
walkin

リンク先の活動データを楽しく拝見させていただきました。
この季節です、さぞ暑かったことでしょう。

目印の松も朽ちて倒れているとあって、この峠を訪れてからはや10年以上が経過していたことに改めて気付かされました

さて、お尋ねのお地蔵さんについては、どこかに移したとは寡聞にして存じ上げません。
ただ撮影された写真では台座の石が立てて並べてあり、悪意を持って持ち去られたようには見えませんでした。
人の絶えたこの峠では寂しかろうと、どなたかが里に持ち帰られた可能性もあるのではなかろうかと存じます。

盆踊りでもあれば心当たりのありそうな方に訊ねられたのですが、生憎のコロナ禍で大勢集まるような行事が軒並み中止となっており、近々には機会がなさそうです。
折を見て消息を調べてみたいと思います。

菅の坂のお地蔵さんは、昨日小浜山の会の有志により周辺を捜索され、埋まっていたのを発見されました。
無事、と言いたいところですが、松の木が倒れた際に損傷したのか、お体が割れていたようです。

川上通信様
ご連絡ありがとうございます。コロナの関係で動きが鈍っております(ブログチェックも)
菅の坂のお地蔵さんが見つかった件、なによりでした。あの時掘り出してみればよかったのですね。
今秋こそと思ってはいるのですが・・・

今年は県外に出かけにくい状況が続いたのもあって、小浜山の会の方々が色々と骨を折ってくださいました。
お地蔵さんを掘り出した際も写真をたくさんいただいています。
ところが少し以前とお顔が違うような気がして、これは実際に見てみないと判断できないと思い、足を運ぶ機会をうかがっているうちに秋になってしまった次第です。

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