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2009年1月26日 (月)

尼公坂(にこざか)と奥尼公

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峠にぽつんと建つお地蔵さまの祠

(ふるさと探訪 第三回 三谷銀治氏:川上の坂道より抜粋)
 田井谷横谷口から九十九折りに登り、途中堅木の休み場を経て峠に至り、あとは緩やかに谷を下り、新右工門、善兵衛、治郎右工門田に至り、更に進むと尼来口の地蔵に出、左折して忠兵衛田、迫沼家、忠兵衛田の少し手前から右折して八郎右工門に向う道、八郎右工門の少し上から頭巾権現へ登る坂があった。地蔵から右へ谷に沿って出て行くと、行谷(幾谷)早稲谷を経て古和木の集落に出る。谷が深く、川には山椒魚も生息していた。

 
 
                    ・・・
 
 
尼公坂は若丹国境尾根を越えて若狭と丹波を結ぶ主要な道のひとつでした。
行き来も激しかったというのが、山向こうの田んぼの持ち主までしっかり書かれている上の文章からも見て取れます。

尼公峠、尼公谷の名前の由来は判りませんが、隣接する峠に尼来(あまぎ)峠があります。また永谷の山中にはその昔尼寺があったという比丘尼端なる一角があり、この周辺で尼に関係する峠が3つもあることになります。名前の由来には尼さんか尼寺が大きく関わっていそうです。
 
尼公坂の登り口は田井谷を遡って、横谷口の不動さんを50mほど過ぎたあたり。左手の斜面に山の会の方が立てられた看板があります。
川上側は九十九折れの急坂ですが、長い年月のうちに掘り込まれ踏み固められた古道らしい道です。峠のすぐ手前で林道によって道が分断されていますが、林道をちょっと左に進めば峠に辿り着けます。峠には首のないお地蔵さまの祠があります。以前はもうひとつお地蔵さまがあったはず。林道がすぐそばを通っているために、使われなくなった峠独特の空気感が希薄なのがちょっと残念です。

峠の古和木側は驚くほど緩やかで、峠を挟むと道の様相がまったく異なっています。峠から奥尼公までは手入れもよく、谷川の傍らを難なく進めます。
奥尼公は尼公谷の中に突然現れる平地で、以前は川上の人の水田だったところです。前述の新右工門、善兵衛、治郎右工門田というのがここでしょうか。ここまでは今も山仕事に使われ道がしっかりと残っていますが、この先は通う人もおらず道が荒れていて未踏査です。(編)

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奥尼公付近

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山中に今も残る小屋

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小屋から斜面に沿って峠に向かう道がありました。(本来の道?)

 

奥尼公について、「北山の峠」の中に面白い記述がありましたので紹介します。
 
 
峠からは話が外れるかもしれないが、この峠を想うとき私にとって印象深いのは奥尼公である。奥尼公というのは、峠の丹波側にある地形的には尼公谷本流とも云える緩い谷の源頭部分で、高原状の平をなし、昔は耕地であったところである。私が初めてここを訪れた頃は四~五万平方m2もあろうかと思われるような広大な山中の芒ケ原であった。丹波側から道も途絶え勝ちな暗い谷間を遡ってきた私には、突然ひらけたこの明るく広い芒ケ原は山中の別天地のように思えたものである。その頃の私は四面山に囲まれた山中の隠れ里や原始集落の形態にいたく興味を持っていた頃なので、この平が深く印象に残ったのである。私はその時何か得難い隠し平を見つけたような興奮を覚えたことを記憶している。だがこれはもう七年ほど前のことである。その後本書を書くにあたって調査をした時は、この平に足を延ばす時間がなかった。入口の杉が大きくなっていて見えなかったからである。それでその後どのようになっているのかはわからない。杉の植林がなされていればこの平の価値はなくなってしまうだろう。

(金久昌業著「北山の峠」下巻P107 ナカニシヤ出版 昭和55年刊)

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