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2009年1月21日 (水)

許波伎神社(コハキノカミノヤシロ)の伝説

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田井谷奥、小脇谷と山神谷の分岐付近 <MAP:D-7>

許波伎神社というお宮さんが、むかーし昔この辺りにあったのではないか、というお話。

許波伎神社は延喜式神名帳(927年)に若狭国遠敷郡の神社として記載されていて、記録に残るこの周辺地域の中でも古い社の一つです。
しかし、それからさして間のない944年の若狭国神名帳には許波伎神社の名は載っておらず、かわりに盗掠(新鞍)神社が正五位として記されています。
現存する神社のうち、どれが許波伎神社の後裔なのかは明らかになっておらず、このため論社※として次の三社が挙げられています。

(※)論社:式内社の後裔社候補、自薦他薦がある。

 

  権現神社 祭神:「青葉権現」 京都府北桑田郡美山町山森(頭巾山山頂)

  山口神社 祭神:「大山祇神」京都府綾部市故屋岡町平田13

  新鞍神社 祭神:「大國主命 合 火之夜藝速男神、豐受姫命、大山祇命、
           應神天皇、神産巣日神」福井県大飯郡おおい町川上108-3

 

江戸時代の国学者伴信友はこの許波伎神社について、川上の田井谷奥に「こはぎ谷」という地名が残っていることに着目し、当時の村の長老に伝わる話から次のように考察しています。

 

・許波伎神社はもともとは川上の許波伎谷(現:小脇谷)に
 あった

・小脇谷には“山神谷”という谷や“小萩の森”なる地名が
 残っている

・丹波の強木村(現:古和木)は、遠いむかしに川上の
 許波伎谷の集落が山向こうの地に移り住んだもの、
 という言い伝えがあり、移住の際に神社も遷したのではないか

・遷した先は尼来峠付近にある山神を祀る小社ではないか

・川上に属する小脇谷の社でありながら延喜式に遠敷郡の
 社として載っているのは、当時この付近が遠敷郡に
 属していたためである

 

伴信友の考察にあるように、小脇谷から菅待坂を越え宮の谷沿いを下ると故屋岡町の古和木区となり、そこに論社の一つである山口神社があります。祭神は山の神、大山祇神です。
また、もう一つの論社である頭巾山山頂の権現神社は、伴信友の云う尼来峠付近の小社にあたるのでしょうか。この御社は古和木の方を向いて建っています。何鹿郡誌には強木権現の頁で、頭巾山山頂にある雨の神青葉権現をまつる小社が、延喜式にある許波伎神社であると記述されています。

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小脇谷から山ひとつ越えた古和木区にある山口神社

川上に残る言い伝えは、許波伎の神社は遠い昔、小脇谷から字山神に遷り、明治時代に新鞍神社に合祀されるまでその地にあった山神神社だというものです。しかしこの話をされた古老も既に亡くなられ、詳細は判りません。

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コメント

いきなりすみません。納田終にある暦会館のツイッターで頭巾山の頂上に許波伎神社(別称 冠巾山十二社大権現)があるとのことです。

頭巾山山頂のお社は、記事中に論社のひとつとして挙げた〝権現神社〟にあたります。
大昔のことですから、今の行政区分とはかけ離れた生活圏があったのではないでしょうか。

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