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2012年2月29日 (水)

愛宕講

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去る2月25日、公民館で愛宕講が行われました。


40代である私には、この『』というものに

あまり馴染みがありません。

以前は今回の愛宕講をはじめ、宮当講・お日待講・

おしんめ講・観音講や「コト」と呼ばれた若者講など、

世代や性別、地区ごとに様々なお講さんの類いが

区内にあったと聞いています。

今も続いているのは山ノ口講と愛宕講、

あとはおしんめ講ぐらいでしょうか。

戦後の混乱と貧困、大きな災害を経て、

多くのお講や祭祀が衰微し消えていきました。

農業や山仕事で助け合いながら生計を立て、

朝から晩までこの土地にべったりだった暮らしから、

各々会社勤めで土から離れ娯楽も増えれば、

講を行う必然性も、続けていく動機も薄れるのだから、

それも仕方の無いことだったのでしょう。

 
今回の愛宕講がこれまでと違うのは、講員を旧歓喜寺檀家に

限っていた縛りを取り払ったこと。

講員の高齢化と後継者不足、参加者の減少によって

講の存続が危ぶまれた故の措置でした。

これによって、ほとんど上方に限られていた講員に

新たに中村・下所の面々が混ざることになり、

以前より賑やかなものになったようです。

私もこの新参の一人なのですが、正直今どき講の新規参加を募っても来る人いるんだろうか、という懸念もありました。
結果今年は新規6戸の参加で計16戸、多少は講員の平均年齢も下がったと思われます。


地域のつながりが弱まり、孤立死なんてのが

報道される世相の中で、それに反するこうした動向というか

気概が区内に残っているというのは喜ばしい限りです。
 

ちなみに具体的に何をするかというと、

愛宕明神の掛軸の前で導師さんを筆頭に皆で般若心経を唱え、

その後御神膳の米と酒をいただきます。

やることは新年会の前に行う山ノ口講とほぼ一緒。

あとはお膳タイムになるのも同じ。

要は神様にかこつけた娯楽・歓談の時間です。

昭和50年の記録をのぞいたところ、講の趣旨に

『愛宕講のなりたちはともかくとして、

    毎年金比羅参りに行くことが目的うんぬん…』

なんてことが書いてあったりで、実におおらか…。

 

 
今回のお講で決まったのは来年度の役員さんを

誰にお願いするかということと、

3月末に講員で京都の愛宕山にお参りに行き、

新しいお札をいただいてくること。

あと公民館のステージのところに神棚をつけたいという話も

出てました。

 

役員さんにはご苦労様ですが、よろしくお願い致します。

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 愛宕さん

 

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愛宕講を参照しているブログ:

コメント

愛宕さん、此処から 手を合わさせてもらいます

御神膳と、講に纏わる珍しい配信を、ありがとうござい
ました。
社会や生活様式の著しい変化の今日では、講の意味も存
亡さえも、過去の風習としてのみの記憶でしたが、配信
のお蔭で、講の存在とその役割の慣用に懐かしい思いと
効用も教えて頂きました。
その昔、富士登山で見かけた富士講、伊勢神宮の伊勢講
と白衣に大書された講の文字に異様な雰囲気を感じまし
たが、あの頃は、まだ、信仰との紐帯の関係でもあった
様々な社会形態が、地域の善行と深い依存関係にありま
したが、昨今ではそれも変化と消滅の対象となって、
あの姿は、もう稀になりました。
殺伐とした現代にも、隣人との懇親があるなら、少し
は明るくなるのでは、その意味でも、講の待つ風習が
美徳文化の一例として、長く継承されることも妙案か
もしれません。
        配信、ありがとうございました。

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