愛宕講
去る2月25日、公民館で愛宕講が行われました。
40代である私には、この『講』というものに
あまり馴染みがありません。
以前は今回の愛宕講をはじめ、宮当講・お日待講・
おしんめ講・観音講や「コト」と呼ばれた若者講など、
世代や性別、地区ごとに様々なお講さんの類いが
区内にあったと聞いています。
今も続いているのは山ノ口講と愛宕講、
あとはおしんめ講ぐらいでしょうか。
戦後の混乱と貧困、大きな災害を経て、
多くのお講や祭祀が衰微し消えていきました。
農業や山仕事で助け合いながら生計を立て、
朝から晩までこの土地にべったりだった暮らしから、
各々会社勤めで土から離れ娯楽も増えれば、
講を行う必然性も、続けていく動機も薄れるのだから、
それも仕方の無いことだったのでしょう。
今回の愛宕講がこれまでと違うのは、講員を旧歓喜寺檀家に
限っていた縛りを取り払ったこと。
講員の高齢化と後継者不足、参加者の減少によって
講の存続が危ぶまれた故の措置でした。
これによって、ほとんど上方に限られていた講員に
新たに中村・下所の面々が混ざることになり、
以前より賑やかなものになったようです。
私もこの新参の一人なのですが、正直今どき講の新規参加を募っても来る人いるんだろうか、という懸念もありました。
結果今年は新規6戸の参加で計16戸、多少は講員の平均年齢も下がったと思われます。
地域のつながりが弱まり、孤立死なんてのが
報道される世相の中で、それに反するこうした動向というか
気概が区内に残っているというのは喜ばしい限りです。
ちなみに具体的に何をするかというと、
愛宕明神の掛軸の前で導師さんを筆頭に皆で般若心経を唱え、
その後御神膳の米と酒をいただきます。
やることは新年会の前に行う山ノ口講とほぼ一緒。
あとはお膳タイムになるのも同じ。
要は神様にかこつけた娯楽・歓談の時間です。
昭和50年の記録をのぞいたところ、講の趣旨に
『愛宕講のなりたちはともかくとして、
毎年金比羅参りに行くことが目的うんぬん…』
なんてことが書いてあったりで、実におおらか…。
今回のお講で決まったのは来年度の役員さんを
誰にお願いするかということと、
3月末に講員で京都の愛宕山にお参りに行き、
新しいお札をいただいてくること。
あと公民館のステージのところに神棚をつけたいという話も
出てました。
役員さんにはご苦労様ですが、よろしくお願い致します。
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愛宕さん、此処から 手を合わさせてもらいます
投稿: 日誠 | 2012年3月 2日 (金) 08:32
御神膳と、講に纏わる珍しい配信を、ありがとうござい
ました。
社会や生活様式の著しい変化の今日では、講の意味も存
亡さえも、過去の風習としてのみの記憶でしたが、配信
のお蔭で、講の存在とその役割の慣用に懐かしい思いと
効用も教えて頂きました。
その昔、富士登山で見かけた富士講、伊勢神宮の伊勢講
と白衣に大書された講の文字に異様な雰囲気を感じまし
たが、あの頃は、まだ、信仰との紐帯の関係でもあった
様々な社会形態が、地域の善行と深い依存関係にありま
したが、昨今ではそれも変化と消滅の対象となって、
あの姿は、もう稀になりました。
殺伐とした現代にも、隣人との懇親があるなら、少し
は明るくなるのでは、その意味でも、講の待つ風習が
美徳文化の一例として、長く継承されることも妙案か
もしれません。
配信、ありがとうございました。
投稿: 岩崎武次 | 2012年3月18日 (日) 13:34