« 社会奉仕作業と夏の訪れ | メイン | 新鞍神社の伝説 »

2009年7月15日 (水)

大ぶな坂(その2)

Img_2475
木立の窓からの眺望を楽しむ
霞んでいなければ若狭湾が見える

 

吹切峠探索(2009.7月5日)

 

大ぶな坂(その1)http://kawakami-ku.mitelog.jp/blog/2009/06/post-ce37.html

 

先日ここで紹介した大ぶな坂ですが、林道から上の区間は未踏査のままでした。
もうかなり暑いし、次に行くのは11月か来年の3月くらいにしよう、とのんびり構えていたら淳さんから突然の電話。

「今日、ここの峠を案内して欲しいという名田庄の人が来る」とのこと。「案内いうても、わしも途中までしか行ってないでのう。まあ探検や思て行かんか、探検はおもしろいでのう」という山歩きのお誘いでした。

探検が面白いのは全く同意見。それに行った事のない山奥の踏査で他に人がいるのは非常に心強い(一人で山奥へ行くのは身軽さがあるもののホント心細い)。重い腰を上げる絶好の機会到来と、急遽支度を整えてアトリエへ向かいました。

(語彙が貧弱だとですます調は書き辛いので、以降文体を変更します)

 

名田庄から来られたのは田歌氏と門野女氏。なんでも名田庄の峠はほぼ全て見て回った中で、片又谷から川上に抜ける峠は話でしか聞いたことが無く、一度行ってみたいと以前から淳さんに頼んでおられた様子。

田歌氏によると、昔片又の谷にまだ集落があった頃、“風呂に入りに行ってくる”と言って、峠を越えて川上まで行って帰ってきたという逸話が残るほど、片又と川上は気軽に行き来できる距離感覚だったらしい。現代の感覚ではにわかに信じられない話であるが・・・。また峠には地蔵さんもあるという。

色々と興味深くあるが、頼りになるのは以前忠のおじいさんから聞いた峠の大体の位置のみ。かなり心許ない状況ながら、道跡は残っているはずだし辿っていけばなんとかなるだろう。

そんな感じで、わりあい楽観的に平均年齢の高い一行は出発した。

まずは前回歩いた木立の窓登り口まで一気に車で登る。大ぶな坂自体はこの少し手前で林道を横断(分断)しているが、淳さんによるとここから分岐する作業道が大ぶな坂をほぼなぞっていて、行き着く先も同じ尾根だという。
薮化した道跡よりも作業道のほうが歩きやすいのは明白。季節はもう夏である、消耗は少なければ少ないほど良い。というわけで一行は迷わず作業道を進む。

歩いていくと、掘れた溝状の道跡が作業道から時に離れ時に削り取られながら支尾根を詰めているのが分かる。ベンチが置かれた広場を過ぎて少し進むと、作業道は尾根を離れて山腹を穿った道になる。尾根を進むと思われる大ぶな坂とは、ここでしばしのお別れ。

再び尾根に取り付くまでの作業道の数百mは複数箇所で路肩が崩れていて、二輪車以外の通行はほぼ不可能な状態。眼下の眺めからは二輪車も正直おすすめ出来ない。路肩の崩れた所で谷側にふらついたら死ねると思う。あと数年も経てば歩行も難しくなる区間が出て来そうな雰囲気である。

 

Img_2476
荒涼とした作業道。
足下だけ見ていると火星の渓谷を歩いているような気分になる。
前を歩く田歌氏の杖は使い込まれた木刀でした。

尾根の先端をぐるりと巻いたあと、道は少しの間尾根に近づく。作業道が再び右方向に曲がる所で今度は尾根を進む。この辺りも大ぶな坂のルートのはずだが溝は見当たらない。100mも進まない内に再び作業道が尾根に出てくる。

ここでようやく作業道脇を並走する溝を再視認。ひょっとすると作業道はずっと大ぶな坂をなぞっているのかも知れない。尾根の下から上ってくる溝もあり、どうやらここが登尾坂と大ぶな坂の合流地点と思われる。

 

Noborio_oobuna Img_2482
合流地点と思わしき場所
道跡を見つけてひと安心、しばし休憩。


休憩後は作業道を足下に見つつ、薮化した大ぶな坂を進んでいく。ユリ道になっていて道跡がぼんやりしている所もあるが迷うことはない。拍子抜けすることに少し進んだ迫でまた作業道と対面して、わざわざ苦労して薮を進んできた一行は馬鹿らしい思いをした。
道跡はこの迫で途絶えている。左手はゆるやかで、すぐそこに支尾根が見える。一行は迷わず左に進んで支尾根の鞍部に出た。どう考えてもそちらの方が歩きやすいからである。

今にして思えば、大ぶな坂はこの迫をまたいで尚作業道と並走していたのかも知れない。というのも尾根は歩きやすくはあったけれど、道の痕跡は無くなってしまったからである。

支尾根に出て目印となる562mピークを目指す。
ピーク手前で東方向に細いユリ道があった。この道を進むと562ピークをパスして北東側の鞍部に出る。地形図で見るかぎりこちらの鞍部は広く、見通しも良い。いかにも峠のように見える。この鞍部には、大きな枯れた松の幹が二本屹立している。良い目印となりそうなこの松の存在で、この一帯に峠らしき風情はあるものの噂の地蔵さんは見当たらない。

ただ、忠のおじいさんが指した峠はピークの南西の鞍部である。それを信じるなら峠はここではない筈である。一行は再び562ピークを越えた先にある南西の鞍部へ向かう。

 

Img_2485
北東の鞍部の二本松

向かってはみたものの、峠らしき地形には出くわさない。ここに来るまでに道跡らしき踏跡がそこここに残ってたが、川上側にも片又側にも道は下って行かない。尾根に沿って道ははっきりとあるが、峠はない。恐らくこの道は話に聞いた尼公峠へ向かう道だと思う。薮もなく歩きやすいので、このままずっと歩いていきたい気分になるが、ここから尼公はそれなりに距離がある。

 

Img_2489 Img_2491
尾根道と南西の鞍部
峠くさいのはここくらいであるが、どちらにも下りていく道がない。
山城で見かける土橋っぽい雰囲気があった。

 

Img_2493
尾根に沿って尼公方面へ続く道


残念ながらこの日の探索では峠と断言できる場所を見つけることができなかった。見つけられないままでは悔しいので、次の週もう一度忠さんに行って峠のことを聞いた。ところが忠のおじいさん自身は馬がせの先にはしょっちゅう行っていないので、峠についてはあまり記憶にないという。峠を越えて炭焼きに行っていたのは久保の人と、川上では彦作さんということだった。

この峠についてはもう少し情報収集して再度挑戦することになると思う。

 

Img_2495 Img_2497
ピーク手前で印象的だった迫。傍らには廃窯があった。
帰路の途中、最初の休憩地点で記念撮影。

 

Map_2

コメント

コメントを投稿