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2009年7月18日 (土)

新鞍神社の伝説

Wakakusa

“コト”と呼ばれる若者講について調べているとき、孫右衛門さんから「こんなのもあるよ」と若草の1〜5号他の資料を貸していただきました。“若越郷土研究”川上区の宮当講の回のコピーまであります。

その若草の5号に「吾が郷土の伝説」と題した特集記事がありました。ざっと目を通すと川上だけでなく石山や神崎の記述もあり、郷土史などに書かれていないような内容もちらほら。

発行は昭和24年、コレこれ、こういうのを探してました。
そんなわけで、早速そこから新鞍神社についての記述を抜粋してご紹介します。

 

 新鞍谷を流れる川が佐分利川に合流する處に建立されている現在の社、昔佐分利川の上流即ち川上の奥にあったのだそうだが大洪水の際、流されて現在の位置に流れついた。村人は御祭神が此處がお好きになつたのだと云って現在の場所にお祀りしたのだと云う。
 
 昔、川上の奥に或る老人夫婦が住んでいた。この夫婦に数人の娘があつたが毎年奥山に住んでいる狒々猿にこの愛娘一人づつを捧げ、もはや一人の末娘をも捧げなければならなくなつた老人夫婦は悲観の涙にくれていた。

 丁度そこへ素戔嗚尊がお出になりその理由をお聴きになつた。老人夫婦は一部始終をお話しすると「それは気の毒だ、一つ俺がその主奴を殺してやろう」と宣せられ、その狒々猿をご征伐になつて老人夫婦をお救いになつた。その為、新鞍神社に素戔嗚尊をお祀りしたのだと謂う

 封建臭のある神社祭例の一つである宮の當講は周知の如く正月十三日に行うが、古来その料理は主として牛蒡を用いるので一名ごぼう講と謂う。
 此宮の當講に加入していないと村人としての格を低く見、縁組も講中の間で主に行ったと云う。全盛期は四つ座敷を用い裃で盛装した講中はうたいを唱しながら酒宴をやつたと云う

 宮の當講の前日には未成年の娘一人美しく着飾らして母親がつき添い粟殻に酒二升を持つて未明社に祀でたそうである。粟がらは昔粟で造つた酒を所謂狒々猿に供した名残だと傳へられている。

 然しこうした故事も今は、すたれてしまつた。


(昭和24年発行 若草 第五號「吾が郷土の伝説」より抜粋)

 

Img_1584  

村の氏神・鎮守は、たいてい集落の中や奥まった所にあるというイメージがあります。新鞍神社は集落の最も川下にあって、その場所は隣の三森区との境です。なぜ川上のお宮さんはこんな下にあるんだろうと疑問に思っていましたが、洪水で流されたというのなら納得がいきます。

これについて、既に亡くなられた三森の古老が「新鞍のお宮さんは元々三森のもので、川上にとられてしまったのだ」と生前仰っていたそうです。新鞍の谷も昔は三森の山が結構あったとか。
氏神が異なるのに神社を取り合うというのも不自然な話なので、洪水で社が流されたのを口実に、なし崩しに村の境を下流側にずらしたというのが案外真相なのかも知れません。

“素戔嗚尊”のくだりは、よくある英雄・豪傑の化け物退治のお話です。気になるのが、新鞍神社の主祭神は大国主命で、“素戔嗚尊”の名は合祀祭神の中にも含まれていないこと。昭和6年発行の福井県大飯郡誌でも新鞍神社の頁で素戔嗚尊には触れていません。これはどういうことなのでしょう?

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コメント

【祭神について】
 
 1)神社の祭神は、時々の現地の人々の解釈によって、移り変わって行くものであるというのが一般です。昔から不変であるということはまずありません。新鞍神社の現在の祭神(主神)が「大国主命」であるということも、後に大国主命とされたものに違いなく、元来は「土地の守り神」であったのでしょう。
 2)素戔嗚尊の件について。スサノオが、現在の主神はもとより合祀の神にも見られないということは、雑誌『若草』に載る「話」が、余程古い民話であるのか、そうではなくて新しい作り話に過ぎないかのどちらかであるということになります。可能性としては後者でありましょう。それがスサノオであるのは、話の展開がヤマタノオロチのお話に拠っているためです。このスサノオの文字「素戔嗚尊」は『日本書紀』の用字でありますが(『古事記』の用字は「須佐之男命」)、だからと言って『日本書紀』を見ながらこの話を作ったと言いきれるものでもありません。
 
 
【雑誌『若草』について】
 
 これは貴重な本のようです。大学図書館等が所蔵する図書・雑誌を横断検索する総合目録データベースのNACSIS Webcat(http://webcat.nii.ac.jp/)
で検索しますと、8件の雑誌『若草』がヒットしますが、これらには該当しないようです。福井県立図書館や若狭図書学習センターに蔵されている白泉社刊の雑誌『若草』とも異なるようです。表紙下に「佐分利村○○」とあるようです。文字が小さくてよくわかりませんが、貴重な資料のようですから、保存を万全にしていただきたいと思います。

義隆b様、詳しい解説ありがとうございます。
そのうち消えてしまう伝言板ではちょっともったいない内容でしたので、勝手ながらコメント欄に移させてもらいました。(こちらの環境のせいで、お名前が文字化けしているかも知れません)

素戔嗚尊のお話の出典は、昔地元小学校にあった地方の伝説をまとめた本に書いてあったと聞きました。ハードカバーの立派な本だったということですが、当時からは校舎も二度建て替えられており、今も残っているかどうか。学校に行ったときに訊ねてみようと思っています。

『若草』は一般書籍ではなく、当時佐分利村青年団が発行していた団報というか同人誌です。以前これについて書いた記事のリンクを貼らなかったのでちょっと不親切でした。
写真はクリックしていただくと、もうすこし大きく表示するようになっています。(それでも見にくいのはどうかご勘弁を)

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