« 蛍 | メイン | 第三回 蛍まつり »

2009年6月18日 (木)

大ぶな坂

Img_2396
大ぶな坂(写真のように荒れていて快適には歩けません)

(ふるさと探訪 第二回 三谷義太郎氏:新鞍谷より抜粋)

新鞍の西谷の私の山と野逕渓(やけだん)の治良左さんの山頂に「馬がせ」と云う処がある。馬の背のようになっているのでそう呼んでいる。

昔は野逕渓から入りこの馬がせを通り西谷の端をどんどんと登り、裏は田井谷の足谷、次ぎは横谷と登って大滝の頂上の登尾坂に合流する坂道を「大ぶな坂」と言った。

大ぶな坂は、相当古い話であるが春先に共有山の奥地に火をつけて山焼きをして、五月末から六月にかけて木の新芽をさぶい(山芝草・田圃の肥料)を刈って、大ぶな坂を牛馬に背負わせて通ったので牛馬の休み処であったため馬がせと言ったのかも知れない。

又、戦前新鞍林道の出来るまで西谷やなめり谷へ、炭焼きに行った人も野逕渓を入り馬がせを越えて横道を作って通ったのである。

話は変りますが、大ぶな坂の足谷側に良い松林があり、昭和二十五年売却して前の公民館を建築されました。又、新鞍の松尾端(西谷となめり谷の尾根)の共有山にも大きな松林があって、昭和三十四年、鉄筋コンクリートの川上分校もその松を売って建築費用を川上区で支出できたのもこの松林のお陰である。

先人は山景気の良い時期に思い切って後世のことを思い処置をしてくれた為、平成六年川上分校の本校への統合より以後、公民館を大飯町で建ててくれたのも皆、共有山に木があったお陰である。今日では木材価格の低迷で林業は不景気であるが悪い時期なればこそ国は、国土保全、水源涵養の為に高額の補助金を出しているので、生産森林組合、私有地を問わず戦後植林した山を間伐枝打ちをして立派な木を育てて後世に送り出したいと思うものであります。

川上から山をとったら何も残るものはありません。山を大切にして下さい。新鞍神社の森になるように頑張りましょう。


Img_1497
野逕渓から馬がせを目指して
写真は斜面の途中にある作業小屋と廃窯

Img_1502_2
尾根を進む途中にあったぬた場
足跡がまだ新しい

Img_1506
雨が降ってきて急に辺りが暗くなる
ここが馬がせのはず・・・

Img_1507
馬がせから治良左さんの山へ降りる道跡がありました
ただし十mほど進むと道は消失しています(雨の中、ヒーヒー言いながら急斜面を谷底まで降りる羽目になった)

Img_2394
新鞍林道付近の大ぶな坂
尼公坂ほどではありませんが、掘り込まれた溝状の道が残っています

Img_2400
木立の窓の少し手前で林道と交差します
写真右手から大ぶな坂が登ってきます
林道より上にも道が残っていますが、薮のため通行困難

Oobuna_map

大ぶな坂を登り詰めていくと登尾坂と合流して吹切り峠へ。
峠の向こうは名田庄の片又谷です。
ここから尼公峠へ向かう道もあったと聞いています。
林道から上の区間は未踏査ですので、詳細はまたの機会に・・・

トラックバック

このページのトラックバックURL:
http://app.mitelog.jp/t/trackback/403720/18702373

大ぶな坂を参照しているブログ:

コメント

コメントを投稿