明治の石積えん堤(2)
明治期に施工された川上の二大砂防えん堤
滝巌谷コモイケ堰堤
構造:土えん堤
延長:90.90m
高さ:2.73m
施工:明治32年
現在えん堤そのものはコンクリート躯体となっており、過去に改修があったのかもしれません。そのえん堤の一部として石積と土堤が組み合わさった堤防(延長約90m、高さ2.7m)が道沿いに残されており、これがおそらく明治期の構造物なのでしょう。
土えん堤は雑木で覆われ、石積部にはひとかかえほどある大木も生えていて、築堤されてからの長い年月がうかがえます。これらの樹木の繁茂により、えん堤の全体を見渡すことは難しくなっています。
妻谷尾鳥岩2号堰堤
構造:石積付土えん堤
延長:70.92m
高さ:土堤:6.82m
石堤:4.24m
施工:明治34年
比較的原形を留めていると思われる妻谷尾鳥岩2号えん堤については、延長約70m・平均高6.8mの石積付土えん堤であり、かなり大きなえん堤です。県道に隣接しているとはいえ、こちらも植林と雑草・雑木の繁茂により、特に夏季においては全体像の把握は困難な状況にあります。水通し部は自然地形の渓流になっており、シダに覆われた土堤の存在に気付かなければほとんど目立たず、自然地形の滝のような印象を受けます。
延長45m、高さ2.4mの石積1号えん堤も砂防台帳には記されており、付近にある、またはあったはずですが、これについてはまったく場所の見当が付きません。
下流部には後年の施工による護岸やコンクリートの落差工も見受けられます。
おおい町の佐分利地区を流れる佐分利川は、延長が約15kmと比較的短く、上流部に至ってはかなり急な勾配となる河川です。分水嶺となる県境付近でも京都府側がなだらかなのに対し、福井県側はいきなり急峻な谷となっています。このため大雨が降ると一気に流下した水が山肌を削り、たびたび河川が氾濫して水害に悩まされてきました。
川上の二大えん堤は幾たびも濁流と土砂の洗礼を受け、後年の改修が必要になったのだと思われます。
(続く)
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