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2010年2月15日 (月)

永谷峠に残る“佐分利”の地名

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永谷坂の切通
岩肌を流れ落ちる水のしぶきで年中湿っている印象がある
京都府側からゆるやかに登ってきた道は、ここから突然様相を変え地の底へ降りていくように川上側へ下っていく


県道1号線、いわゆる佐分利街道の最奥、永谷坂。

昔は谷に蔓橋が架かっていたという。

その写真も残っていると聞くが、残念ながら私はまだ見た事がない。

鳥谷を上がり、難所だった馬こかしを過ぎ、

急坂の上の切通を抜けるととたんに視界がひらけ、

道はうって変わってなだらかになる。

峠と言われてもあまりピンとこないような開けた場所だが、

道端には若丹の国境を示す石柱が立っていて

傍らにはお地蔵さんを祀る小さな祠がある。

ここが福井県と京都府の県境となる。

 

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県境にある祠のお地蔵さん
「右 山家 ?さぶり 小濱」とあり、指し示す方向が逆になっている
県道の工事で元あった場所から移されたのか

※「右 山道 左 さぶり 小濱」では、とのご指摘がありました。

 

この県境のすぐ傍に昔数軒の家があり、

永谷(ナガタン)と呼ばれたその小集落は

麓の川上に属していた。

随分前に転出され廃村となって久しいが、

付近には“佐分利”という小字名も残る。

佐分利に属する小集落だったから、それを明確にするために

この小字名がついたのだろうか。

ちなみに佐分利村の“佐分利”はもともと“佐文”と表し

“サブ”と訓じたそうだ。

時代を経て“佐分”となり、“佐分利”となった。

その詳細な経緯は判然としない。

 

川上からこの峠の“佐分利”まで来るには

険しい峠道を登ってこなくてはならない。

今でこそ冬期の積雪は少なくなったものの、

以前なら雪が積もれば川上とはほぼ隔絶する。

距離と行き来の容易さでは京都府側の

市茅野の方がはるかに便利なはずで、

敢えて川上に属していた理由が解らない。

単に一族が川上に住んでいるからというだけでは

うまく説明がつかないほど、ここは川上から離れている。

昔の感覚ではそれほど苦にならなかったのだろうか。


以前ここに住んでおられた角兵衛さん、

夏は峠の茶屋、冬は鉄砲を持って猟師をされていたそうだ。

この角兵衛さんについて描かれた絵手紙がある・・・

 

 

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屋敷跡
廃屋が建っていた記憶もあるが、今では池だけが残る
池の水源は山裾に掘った井戸だった

 

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県境から少し佐分利側に入った所にもお地蔵さんが祀ってある
こんな場所へ誰が供えているのか、ここの花は何時見ても新しい
この日は正月だったので餅と蜜柑も供えてあった


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コメント

道標の文字。「家」となさっているのは、「道」の字だと思います。
「?」の字は「北」ではないかと思いましたが、方角上合わないのと、「右」との対比から、恐らく「左」の字であろうと思います。
「右山道/左さぶり/小濱」

素早いご指摘ありがとうございます。
テキトーなことを書いてしまってお恥ずかしい限り・・・

右 山「道」とすると、どこの道を指しているのだろう。
ひょっとするとこのお地蔵さん、元は全く別の所にあった?

元来は 佐分里 SABU VILLAGEだと推測します。父の知り合いの在日の方が (30年ほど前)朝鮮古代に 戦に敗れた豪族がいたが彼の領地がサプといったから 多分 あんたの祖先は朝鮮からだと言われました。http://www.archives.pref.fukui.jp/fukui/07/kenshi/tuushiindex.html 福井県史よれば 「木簡に見える若狭の屯倉ミヤケ」項に、佐分郷,里とか 多く見えます。

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