永谷、若狭の国の最端、
京都方面から来れば都の外れであるが
若狭の始まりである。
昔しの殿様あたりの仕業だろうと思うが、
不便なところにはちがいが無い。
其んな山合いの村にも歴史があり、文化もある。
其の一角に角兵衛さんが住んで居られた。
住んで居られたと書くと過去形になるが、
現実にはそうである。
お隣り村の老富村あたりも同じであろう、
過疎化して人口減となり、見るも痛ましくなっている。
永谷村も三、四軒あって其の真中あたりにあった。
南端の方たちの記憶は無い。
角兵衛さん、確か渡辺と言ったと思う。
渡辺と言う姓であるなれば、間違い無く川上村の続きである。
つづく
H18.6.1 善琢
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