藁仕事(三)
勇さんは蓑作りが得意であった。
肩から背中までと、其の下の腰の部分、
上下の組合せの部分が厄介だったらしい。
善兵衛の栄さんが蓑作りを習っておらんした。
さあ一服だ。
其の頃になると客が増えた。
久左隠居の勝太郎さんがよくござった。
仕事はあまりさっしゃらないが、話し好きだった。
腰を一寸かがめて、戦争の話しをさっしゃった。
アメリカの飛行機が編隊で来て、ところかまわず人畜殺傷
弾を振りまいた。
きょうといなんてゆうものでなへ、
命が縮まった・・・
話しがはずんでいるところへ、
お母さん(トミコさんだったと思うが)が
おやつを出してくだんした。
ミカンやさつまいもだった、有難かった。
コウジミカンは酸っぱいのが多かったので、
火であっためると甘くなるので、焼いて食べた。
思い出すなあ・・・。
H17.10.2 善琢
蔵の中に多分祖父がこしらえたと思われる新品の蓑やテンゴ・草鞋がいくつもぶらさがって残っている。
今年、来年の分をと作っておいたのが、いつを契機かパッタリと使わなくなったのだろう。
蓑を振ると籾殻と一緒に小豆粒がパラパラとこぼれ落ちる。
・・・何故?
懐かしいなー藁仕事、登場してくる人たちはもう皆亡くなつたが――
私も毎日藁仕事に行つていたので情景が浮かんできてーーーー
60年も昔のこと―懐かしいなーーーー
投稿: じゆん | 2010年1月27日 (水) 14:59
コメントありがとうございます。
私などは蓑や草鞋はおろか縄も綯えない世代です。
他区の人から「川上はまとまりがある」とたまに言われますが、こういった日々の積み重ねを経て、地域の繋がりが強固なものになっていったのだろうと感じます。(あと分校の存在も)
投稿: 管理人 | 2010年1月28日 (木) 09:00