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2010年1月27日 (水)

藁仕事(三)

Kanjiki_04

勇さんは蓑作りが得意であった。

肩から背中までと、其の下の腰の部分、

上下の組合せの部分が厄介だったらしい。

善兵衛の栄さんが蓑作りを習っておらんした。

さあ一服だ。

其の頃になると客が増えた。

久左隠居の勝太郎さんがよくござった。

仕事はあまりさっしゃらないが、話し好きだった。

腰を一寸かがめて、戦争の話しをさっしゃった。

 アメリカの飛行機が編隊で来て、ところかまわず人畜殺傷

 弾を振りまいた。

 きょうといなんてゆうものでなへ、

 命が縮まった・・・


話しがはずんでいるところへ、

お母さん(トミコさんだったと思うが)が

おやつを出してくだんした。

ミカンやさつまいもだった、有難かった。

コウジミカンは酸っぱいのが多かったので、

火であっためると甘くなるので、焼いて食べた。

思い出すなあ・・・。

 

H17.10.2 善琢

 

R0010098 R0010104 R0010105
蔵の中に多分祖父がこしらえたと思われる新品の蓑やテンゴ・草鞋がいくつもぶらさがって残っている。
今年、来年の分をと作っておいたのが、いつを契機かパッタリと使わなくなったのだろう。
蓑を振ると籾殻と一緒に小豆粒がパラパラとこぼれ落ちる。

・・・何故?

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コメント

懐かしいなー藁仕事、登場してくる人たちはもう皆亡くなつたが――
私も毎日藁仕事に行つていたので情景が浮かんできてーーーー
60年も昔のこと―懐かしいなーーーー

コメントありがとうございます。

私などは蓑や草鞋はおろか縄も綯えない世代です。
他区の人から「川上はまとまりがある」とたまに言われますが、こういった日々の積み重ねを経て、地域の繋がりが強固なものになっていったのだろうと感じます。(あと分校の存在も)

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