新嘗祭
川上と三森の区長さん、氏子総代さんが拝殿に上がり、
福谷の宮司さんが執り行います。
年番さんは拝殿の準備をしたり、いろいろな雑用の受け持ち。
加えて幟立て役がさらに数名で、大体十数人が集まります。
新嘗祭に続いて七五三のお参りもこの日に行うので、
数えで五歳の子供は晴れ着で参拝。
こちらはこの後写真を撮りに行ったり、家内で祝いの席もあるので
儀式が終われば早々に撤収されます。
役が当たってなくても毎年来られる方もいますが、
今ではそれもごく少数。
十月の大祭りの時も書きましたが
ひっそりとした祭りで寂しい限り。
儀式が終わると幟を下ろし、年番さんは本殿と拝殿の後片付け。
宮司さんは兼務する次の神社へ。
拝殿に雨戸がたてられ、幟が下ろされると
ささやかながら確かにあった祭りの空気が掻き消えて、
あっさりといつもの神社の姿に戻ります。
片付けが済むと社務所にて直会。
神事に参加した者一同でお神酒と神饌を戴きます。
本来これも神事の一部なので、お参りしたなら
直会にも参加するべきなのだそうです。
これ、今の今まで知らず、役や当番の慰労会のようなもの
だと思ってさっさと帰ってしまいました。
来年から改めよう・・・。
さて、この新嘗祭、
その年の農作物の実りと恵みに感謝する儀式です。
昔はこの神事が済まないとその年の新米は
食べない習わしでした。
コレ、今もそうしている家はあるのだろうか?
儀式の意味が解っていればなるほどと思えるけれど、
8月下旬に始まり、9月中旬に稲刈りが
ほぼ終わってしまう現在では、
2ヶ月以上おあずけをくらうことになります。
ウチなんかも収穫して早々に食べてます・・・。
その私が言うのもなんですが、
旧来のように“この年川上で獲れた米はこの日初めて食べる!”
というタテマエにして新米味見会みたいなことをすれば、
新嘗祭も今よりも実感を伴った行事になるのでは。
そんなことは当たり前だ!言われんでもウチはそうしとる!と
年配の方からお叱りを受ける?
そもそもいつから新米を食べるかはその家の自由、
実に強制しにくい事ではありますが・・・。
早いもので、今年ももう残り少なくなりました。
川上通信からは、この一年、季節の移り変わりや、伝説のあれこれ、多彩な行事などの風景。
それに伴う管理人さんの的確で詳細なコメントと、実に多様な関心事を発信して頂き、まことにありがとうございました。
それにしても、自然の摂理がこうも確実に季節の移ろいを知らせてくれる律儀さに改めて深い感動を覚えております。
それは、2月の残雪の梅から、百花繚乱の先駆けに見る3月の花々、童心に返る初夏の蛍狩り、9月の畦道に咲く繊細で侘しげな彼岸花、また、黄金色の残影を留める田んぼ、そして、11月の晩秋を彩る鮮やかな楓、さらに、森羅万象を凝縮した落葉の12月など、実に多彩な自然の営みを実感する映像。
それに、心の籠もった感想と解説のご苦労に深い敬意と謝意を抱かずにはいられませんでした。
やはり、映像のみでは、事物の多岐多様な表現には限界もありますが、毎回の深い洞察力を基盤とした論理と情感によるコメントの介在によって、都度、その対象の真髄を垣間見ることもできました。
また、来年も素敵な映像とコメントの発信を、よろしくお願いいたします。
投稿: 岩崎武次 | 2009年12月14日 (月) 11:17
お褒めのコメントありがとうございます。
そんな大した内容ではないので、非常に恐縮です。
一年間区内の出来事を追いかけてきましたが、平日はどうしても守備範囲外になるので、取りこぼした行事も多々あります。
今年と内容が被らないよう、来年はそうした行事も分かる範囲で拾っていきたいと考えていますが、会自体の活動も含め、年度末以降は未定となっています。
投稿: 管理人 | 2009年12月14日 (月) 18:46