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2009年3月26日 (木)

つちのことの出会い(後日譚)

 

滝ヶ谷探訪

前回のつちのこ記事をブログに載せるにあたり、大体の位置を把握するため文章を書かれた一止氏ご本人にお話しをうかがいました。すると「話だけではよく解らんだろうから案内してあげるとのありがたい申し出。次の日は天気が崩れるという予報だったので、早速お言葉に甘えてその日の午後、軽トラに乗って滝ヶ谷へ向かいました。

田井谷川を作業道に沿って遡上し、古和清水(こわしょうず)を過ぎると、道の終点で小脇谷と滝ヶ谷の合流点に出ます。ここには土手のような盛土に囲まれた平場があり、
ここに許波伎神社があったのではないか、とのこと。

滝ヶ谷の滝へはこの平場の土手を沢沿いに進んでいきます。すぐに道が悪くなり、間伐された丸太や巨石を避けつつ沢を登って行かなければなりません。この辺りの荒れ様は昔の景色に慣れた一止氏には驚きだったようで、果たして滝の上流の窯跡まで辿り着けるだろうか、もし着けても元の姿からかけ離れていて判るだろうか不安になっていたと後から聞きました。

しばらく進むと、眼前に苔むした巨大な岩の壁が立ちはだかります。
青葉の茂る頃にここを訪れると、昼の最中でも辺りは薄暗く、水しぶきに濡れて黒々とした岩壁に押し包まれるような、とても神秘的な光景に出会うことができます。滝はこの巨大な岩壁を永い年月をかけて少しずつ穿ち、今では岩の溝をクネクネと隠れながら滑り落ちています。

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目の前にそびえ立つ巨大な岩壁。
滝は岩の窪みを流れているので、ここからだとほとんど見えない。

 

この滝の下からはこれ以上進むことは難しく、ほんのちょっと引き返す必要があります(この日は強引に斜面を登りましたが)
左岸側に小さな石積みの道跡があり、ここから土砂崩れの斜面を数メートル登って山腹の道に出ます。滝壷を高巻きにして岩壁の横腹に取り付くのですが、この岩壁の手前10メートル程が慢性的な土砂崩れ状態で、道はほとんど消失しています。


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Taki_root

 

岩壁に辿り着くと、なんとそこにはコンクリートの階段が。階段には土砂と落葉がたっぷり堆積していますが、しっかりした足場があることにほっとします。一止氏が炭焼きに通われた頃にはすでに階段があったようで、昭和の初期か大正の頃に造られたのではないか、ということでした。

ここから三つの滝を越えるまでは岩壁に沿った道で、谷底までの高低差もかなりある危険な区間です。現在よりもはるかに状態が良かったとはいえ、この道を炭俵を背負い、あるいは一輪車に載せて運んだというのですから、相当な集中力と体力が必要だったのではないでしょうか。

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すっかり埋もれたコンクリートの階段。
獣もここを通り道にしています。

階段を過ぎて滝の岩壁の上に出ると、上流にはさらに二つの滝が見えてきます。道は次の滝の傍らを通り、最後の三つ目の滝は最初の滝のように滝壷を巻いて岩壁を越えていきます。

この三つ目の滝の傍、かなり高い岩壁に不動さんが祀られていますが、昭和28年の水害ではこの位置にあっても濁流に流されてしまい、後日新しい不動さんを据えたということでした。

 

後に流された不動さんが下流で見つかり、戻る場所をなくしたその不動さんは横谷口に祀られることになります。田井谷奥へ山仕事に通う人々はその不動さんを行き帰りに拝み、時に花を供え、長年親しんできました。ところが近年その不動さんが心無い人によって持ち去られてしまうという事件が起こりました。このようなことがあると果たして山や谷を広く紹介することが良いことなのかどうか、疑問と不安が生じます。このことは石仏に限らず、山菜や山の動植物にも言えることですが、業者じみた人が我が物顔で取り尽くしていくというような話も耳にします。こればかりは山に鍵を掛けるわけにもいかず、実際のところ訪れる人の良識を信じるほかありません。
『わざわざ荒らして下さいと宣伝するようなことはやめてしまえ』と言われるようなことにならないよう、山は里の人々が日々の糧を得るため大切に育んできた場所だということを、訪れる人々が心の端に留め置かれますよう、切に願います。

 

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滝の頭を越える辺りは結構な高さがあります。

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岩壁の先にはさらに二つの滝が。

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岩場の道をスイスイと進む。
80を越えるお歳のはずですが健脚です…。


三つ目の滝を越えると谷はおだやかな沢となり、道こそほとんど残っていないものの歩行に問題はありません。滝の巨大な岩盤が天然の砂防ダムの役割を担って、このようにゆるやかな沢になっているということです。ここで谷は二手に分かれ、一方は庵谷方面へ、もう一方が滝ヶ谷本谷です。

本谷をしばらく進むと、右手に切り立った岩の斜面を滑るように落ちてくる沢がありました。この上の頂上付近はいくつもの支尾根がゆるやかに交じり合う複雑な地形で、とても迷いやすいので注意が必要だとのこと。川上へ降りてきたと思ったら京都府側のとんでもない谷へ出てしまい、大変な目にあったと谷を進みながら教えてもらいました。

またこの滝ヶ谷は『嫌らしい谷』で、前述のつちのこ以外にも、2メートルはあろうかという大きな青大将がとぐろを巻いて窯の前に二日間居座り、脅してもつついても動こうとせず仕事にならなかったという話も聞きました。
 

谷にまつわるそんな体験談聞いているうちに、前方に件の桂の古木が見えてきました(実は気付かずにちょっと通り過ぎた)

この桂の木はなかなか禍々しい雰囲気で、謎の生物が住み処とするにふさわしい見た目と言えます。背後の少し小高い所には治右門の窯跡もありました。

以前、この木の辺りは湿地帯のようになっていたということですが、横から谷に合流する沢が掘れて低くなってしまい、水が抜けてしまうようです。以前とは環境の変ってしまった周囲に生物の影は見当たりませんでした。

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桂の古木 。光の具合でなにやら神々しい感じ。

仁兵衛滝はこの古木の少し上流、谷が再び二手に分かれた左側の谷にあるということです。しかし人が転落して死ぬような大きな滝ではないそうで、死因は他にあったのでは、という見立てでした。そこまで行ってみたいとも思いましたが、農作業時間を割いて案内して下さっていることもあり、ここで引き返すことにしました。

わざわざ案内していただきありがとうございました。途中まで何度か来た事がありましたが、桂の古木までとなると、一人で進むには少々心細くなる道のりだったと思います。

 

 

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