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2017年9月20日 (水)

明治の石積えん堤(5)

R0011163 庵谷はここを直進

父より「庵谷(いおだん)にも石積砂防があったはず」と聞き、現場へ行ってきました。
現存する石積えん堤の中で、まだ実際に見たことがない物件です。
庵谷は田井谷の支流で、第二田井谷橋を渡らず、左岸を直進した先にあります。
道はすぐ昔の水田跡に突き当たるので、徒歩でしか進めません。
水田跡には雑木が林立していて、わりと好きな風景です。

R0011158


左岸の護岸天端を歩いて行くと山の斜面を穿った作業道跡が残っていて、すぐにコンクリートの砂防が見えてきます。この辺りは地面も斜面も空気も湿っぽくて陰気です。
だがお目当ての石積砂防はおそらくこの上流。

R0011150作業道は岩肌を穿って設けられている


谷底を注意深く眺めながら進むと、1mほどの岩の落差を発見。
なんかあやしい。
対岸は木が茂っていて様子がわからないので、とりあえず谷底へ降りてみます。

R0011140

R0011117

砂防ありました!…が、これは壊れている。
水通し部分の石積がごっそり流出しているようです。
このえん堤は右岸側の土堤と左岸側の石積から成り、水通しに岩盤を利用しない様式だった模様。
苔むした石積部分がわずかに残っていて、土堤との勾配の差を擦り付けた形状がよくわかります。
タイプ的には開墾谷えん堤に似た形だったと予想。こっちのほうが擦り付け部がある分、ちょっと込み入った構造ですが。
目分量で石積の延長が7mくらい、土堤が13mくらいでしょうか。
高さは河床から4mほどありそうです。(かなりいいかげん)

R0011130 残っている石積部分

R0011139 土堤との擦り付け箇所

R0011141 土堤(流出箇所付近から右岸側を望む)

 

この砂防が災害で流出したので、最初に見たコンクリートの砂防が新たに作られたのでしょう。
この石積砂防の50mほど上流にも、もうひとつコンクリートの砂防が設けられていました。
どちらもそこそこの規模の砂防ですので、ここに来るまでの作業道はこれらの施工のために設けられたのかもしれません。
作業道は石積砂防跡のすぐ先で倒木や茂みによって通行困難になっています。蒸し暑い日だったので伐採して進む気になれず、2つ目のコンクリート砂防の先については未踏です。

R0011143 上流にある2つ目の砂防(この先は未踏)

 

とりあえず、今回確認した石積砂防は「庵谷1号えん堤(仮称)」とします。
記録によると明治33〜34年の施工とのこと。
この字広畑だけで11のえん堤施工記録があるそうですが、今の所これ以外の物件は確認しておりません。昭和28年の洪水の際にことごとく流出してしまったのでしょうか。

ちなみに川上全域では30基のえん堤があったそうです。
そのうち、確認したえん堤はわずか8基。
未だ見たことのない石積えん堤が谷のどこかに眠っているのかも知れない。

確認した砂防群をまとめました

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