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2012年6月29日 (金)

六月のしめくくりに

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ぼちぼち暑くなってきました。

今年は西側の窓にも緑のカーテンを増設して乗り切る予定です。

 

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6/24生産森林組合の草刈りにて

今年は木立の間にヤマアジサイが咲き誇っていた。

いつもはこんなにびっしり咲いていないようで、

春の天候不順で咲くタイミングが遅かったのか、

鹿の食害が少なかったのか。(そもそも鹿はアジサイを食べるのか?)

 

アジサイといえば、善應寺の和尚さんが

境内にいろいろ植えたそうで…

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株が大きく育ったら挿し穂させてください(笑)

 

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6/24夜 蛍まつりにて

 

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六月のしめくくりにを参照しているブログ:

コメント

 いつも、季節の便りを、ありがとうございます。
「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず」鴨長明の方丈記の有名な冒頭の一節から始まる、
人と棲家のエッセイに、朝顔と露の関係が人の有り様を
連想させる件があります。
確かに、花の命は短く、無常と果敢なさを想起させるに
充分な宿命を持っています。
しかし、季節の移ろいに律儀なまでに自然の摂理に忠実
な営みを持つ花には、いつも、感嘆の極みに誘われます
見飽きた筈のその花を見るとき、又しても、新たな感慨
を連想させる要素を内在した有機体の不思議に、また、
驚きを意識します。
季節の移り変わりを実感するのは、気候の変化に連鎖す
る様々な形態の出現が不可欠な要素でしょう。
その意味でも、花や昆虫は季節の認識に欠かせません。
ありがとうございました。

先日も、散策やウォーキングで賑やかな都心の公園で、
誇らしく咲く衆目の一輪を見ました。
それは、如何にも自惚れ高慢が美の純粋さを欠く思い
に、余りにも作為的な背景の混同にあるのでは、と詮
索も。
他方、人目に触れることもなく、故郷の山里でひっそ
りと咲く花には、何故、こうも多様な感情と純粋で深
い美意識を触発させるのか、不思議な存在感が一層、
郷愁を誘います。ありがとうございました。

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