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2010年4月11日 (日)

にっぽんの夏

R0011273


レンタル屋さんで“サマーウォーズ”を借りて観た。

お話の展開は確かに以前の“ぼくらのウォーゲーム”と

大差なく、少々新鮮さに欠けるものの、

大勢の親戚が田舎の本家に集まって過ごす夏の様子が

テンポよく描かれていて、そういう情景を

共有することができる田舎者の一人として、

素直に楽しんで観ることができた。

(劇中の本家はとても立派な家柄であるという違いはあるが)

 
自分が小さかった頃、田舎のお盆は確かにこんな感じだった。

開け放たれた座敷の縁側、

つなげて並べた飯台を囲む食事風景、

いとこ達と入る風呂・・・

妻の実家などは家長の兄弟が8人もいたので、

それぞれが子供を連れて押し寄せてくれば

用意する食事の量も半端ではなく、

まさに劇中のようなにぎやかさだったようだ。

義母の苦労が偲ばれる・・・。

 
里帰りでのそんな光景は今でも残っているが、

兄弟姉妹の数もそこまで多い家族は少ない。

勤め先によって休みのタイミングが違ったり、

子供の習い事や受験などもあって、

実家に勢揃いするという機会も減ってきたように思う。

連泊することも少ない。

そうしなければならない、親兄弟の繋がりとはかくあるべきだ、

家長の権威失墜というべきか、そういう縛り自体が弱まっている。

まあ、よかった探しをするなら、気楽になったのだろうし、

本家の嫁的にも負担は減ったといえる。

(あくまで例えであるが、しきたりから離れて無遠慮になった義妹との確執とか、別ベクトルの負荷はあるのかも知れない・・・。くどいようだが例えである)

 

自身の記憶で検証できるこの30年余りの期間だけでも

家とか一族といった枠組みが解きほぐされてきたというか、

結構様変わりしたんだな、と思う。

そこへ来て大型連休の分散化だとか、夫婦別姓制度、

国外の養子にまで大盤振る舞いの子ども手当てなんかが

加わった日には、子供や孫世代にとっての“家族”や

“親戚”という関係は、どういう実感を伴ったものになるんだろうか。

行き着く先には薄ら寒い未来が待ち受けているようで、

ノスタルジックな感傷を抜きにして、少々心配になる。

 
だからウチは、盆と正月にはできるだけ一族そろって

長々と酒盛りをやるのだ・・・

と、もっともらしくこじつけてみる。

 

春と秋の連休分散化、12年からの実施予定で法案を今秋の臨時国会に提出とか。
テレビでさえ冷ややかな反応だったので、てっきりボツったのかと思ってたら、本気でやりたいみたいですね。

帰省しても実家の家族は仕事で留守、友人も仕事、単身赴任や地域をまたいで通勤してるお父さんは、ますます子供と一緒に過ごせない。
他の地域で取引先や物流が動いていたらおちおち休んでもいられないでしょうし、結局民間は休日出勤を強いられることになるんじゃないだろうか。
元々の祝日(旗日)は意味もルーツもさらに希薄になってただの日に。
ますます国旗揚げる家が減りそうです。

勤め人からしてみたら、こんなことより有給を取りやすくしてくれたほうがずっと有り難いです。

 

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