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2010年2月 5日 (金)

行者山の小さな社

 

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薄く雪を被った行者山:写真中央あたりにちらりと覆屋が見える

 

川上区のお隣は三森区。

落武者が拓いた里と今に伝わり、

集落の名はその昔ここに三つの森があったことから

付いたと云われています。

明治期のピーク時には19軒の家があったと記録にありますが、

現在はおよそ10世帯が暮らす小集落です。

この三森の対岸に“行者山”と呼ばれる山があります。

何てことない低山ながら、山裾は佐分利川にせり出し

山腹に荒々しく岩塊を露出させたお姿。

その岩塊の上あたり、木立に隠れて小さなお社が祀られて

いるのを知っている人はどれぐらいおられるでしょうか。

 

お社はかなり傷んでいますが、小さいながら屋根は杮葺きで

細工も施されたなかなか立派なもの。

昭和初期頃までは“行者講”なるお講もあったそうですが、

何の神様を祀っていたのかは伝わっておらず、

ご神体も行方不明とお聞きしました。

このお社については、郷土史などにも記述を見かけないし、

他所のお宮さんに合祀されたという記録も無いようです。

トタンが張られた覆屋はそんなに古いものでもなさそうですが、

祭祀はいつの間にか廃れてしまった様子。

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お社までは山道をほんの五分足らず
対岸に目を向けると、ちょうど三森の集落が見下ろせます

 

戦争とその後の台風被害で、生きていくのがやっとの貧しい時期が続き、

山村にも吹き込んできた“自由”の風潮もあって、古い慣習や

行事ごとが脇に置かれるようになったのが、細々と受け継がれてきた

慣習や伝承が断絶した大きな一因だろうと思われます。

生活から農作業が乖離していった影響も小さくはないでしょう。

これは川上でもまったく同様で、祭祀や古くからの信仰自体が

消え入りそうな状況です。

祭祀が形骸化し廃れていけば、神社や寺に対する思い入れも

馴染みも薄れていく。そんな中で“屋根の修理に数百万かかる”

なんてことになったら、果たして高齢化して軒数の減った氏子や

檀家は寺社を維持していく根性を発揮し続けられるか、

ちょっと疑問・・・。

 

とは言え、お講で出るちくわやかまぼこのおみやげを子供たちが家で

待ちわびるような時代でもないし、祭祀や慣習を維持することで

直接何か得するわけでもありません。

年配の方に昔のことを訊ねると、懐かしい思い出として

語っておられる印象は受けますが、「あの頃は良かった」とは

誰も口にされません。

不況の最中、高齢化に少子化、若者の流出など将来に拘わる問題は

山積しているものの、皆実感しているのは「今ほどええ時代はない」

ということ。そんな中で今さら昔のことをほじくり返す行為は、

傍から見れば酔狂かあるいは余裕の表れと映るかもしれません。

 

でも、何も知らない、そんなことはどうでもだんねえ、と

開き直ってしまうよりは、ちょっとぐらい胸を張って生活できるので

はないでしょうか。古い慣習や祭祀ごとが実際の生活にそぐわなく

なってきているのは事実ですが、それらは一度白紙にしてしまうと

同じものは二度と手に入らない類いのものです。

代々伝わる祭祀もなく、産土神もない、のっぺり平均化した田舎と

いうのはなんとも寂しい気がします。地域の個性が乏しくなれば、

この場所に住み続ける動機と誇りも同時に希薄になってしまわないかと

心配です。

テレビで他所の祭りを見た子供に、「川上にも祭りがあったの?」と

聞かれかねない未来は、もう現実になりつつあります。

それをただ“流転” の一言で割り切れるほどには達観できないわけで。

 

ひとつ救われるのは、誰も「あの頃は良かった」と言われないこと。

それはまだ大切なものを無くしきっていないと思えるからこそ

言えることなのではないでしょうか。

 

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今回は三森の“によもん”さんにお話をうかがいました。
現在三森では、途絶えてしまった伝承を出来るかぎりまとめておこうという気運も一部で高まっていると聞きます。転出された方も交えて話しているうちに、何か思い出すこともあるのではないかと、その機会をうかがっておられる様子。
成果を楽しみにしております。

 

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コメント

懐かしい祠の現況を発信して頂き、ありがとうございました。
その祠は、私も幼い頃、実家の庭先から漫然と眺めたものです。
その行者山の持ち主の一人、岩崎三郎さん(大阪在住)に伺いましたら「三森の守り神で、昔、講などがあって、ささやかな祭礼もあった」とか。
しかし、祭神など、祠に纏わる詳しい経緯や謂れなど、故事来歴は知る由もない、とのこと。
それにしても、歳月とは、実に無常なもので、事物の確かな存在も何時か、明確な領域から、時節の価値観に翻弄されながら、あやふやな領域に、そして、やがて忘れられ終焉の命運を辿るものなのですね。
そう思うと、時の残酷なまでの営みに、あらためて寂寥の念を意識せずにはいられません。出来ることなら、末永い存続の手だて
は、ないものでしょうか。

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