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2009年12月 7日 (月)

秋の宝尾を往く(後編)

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“むかんだら”
宝尾集落から谷を挟んだ向かいになるので、この名がついたのだろう
ここは植林されていないせいか、そこはかとなく趣がある

 

“むかんだら”には、どういう訳か周りより雪解けの早い

一画があり、その融け具合で農作業の具合を占ったという。

春に引き続き、この日も案内して下さったY氏、

中学生の頃、その場所の特定のためにわざわざ腰まで

雪が積もっている時期に宝尾に登られたそうだ。

かくしてその場所は特定され、謎に取り憑かれた

Y氏とその友人によって掘り返された。

既に宝尾から住人が退去していた昭和30年代のことである。

しかし1m以上掘り進んだところで大きな岩に当たってしまい、

やむなく作業を断念したそうだ。

その穴は今でも残っている。

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その穴(笑)
雪は地面の方から解けて空洞状になっていたというから、地熱が関係しているのだろうか

さて、一行はむかんだらから字渓水に残る道跡を辿って

宝尾集落跡へ向かう。

“渓水”というだけに水が抱負で、山腹を歩いているうちから

ザァザァという沢の水音が聞こえた。

弥兵衛の屋敷跡にも水路と池の跡があるが、

ここの谷川はそことは違う水源のようだった。

谷を渡って少し登ると、宝尾集落の字彩霞(さいか)に出る。

寺院跡と云われる一帯をぐるりと一周りした格好だ。

苔生したあの大石垣が見えてくる。

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人が住まなくなっておよそ60年、

山上の集落跡は、杉と竹の林の下で徐々に輪郭を崩しながら

落葉の中に埋もれていく。

“尾だら”の寺院跡に堆積した土砂が経た年月は

おそらくその比ではない。

宝尾山縁起によると、この寺院は仏教伝来の時期に

建立されたという。

しかし、現存するその当時の遺物は何も残っていない。

Y氏の願いは学芸員の指導のもとで発掘調査が行われ、

縁起が伝える伝説の真偽がいくらかでも明らかになることだ。

この日も何度かそのことを口にされていた。

 
投資に見合うだけの成果が、果たしてここに眠っているのか?

薮を払い手をかけた土地が、管理を放棄され

再び荒れ果てるのではないか?

 
道路も電気も無い山中だけに、

越えなければならないハードルは多い。

現状のように、忘れられ、打ち捨てられた伝説地というのも

それはそれで趣があっていいけれど・・・。


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宝尾集落の手前に生えていた樫の木
お手軽な場所にあったせいか、道具の柄に使われまくった様子
なんとも不憫な姿になっていた


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宝尾を後にする一行
見て回るのが精いっぱいで、結局ほとんど竹の伐採はできなかった。
残念・・・

 

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