秋の宝尾を往く(後編)
“むかんだら”
宝尾集落から谷を挟んだ向かいになるので、この名がついたのだろう
ここは植林されていないせいか、そこはかとなく趣がある
“むかんだら”には、どういう訳か周りより雪解けの早い
一画があり、その融け具合で農作業の具合を占ったという。
春に引き続き、この日も案内して下さったY氏、
中学生の頃、その場所の特定のためにわざわざ腰まで
雪が積もっている時期に宝尾に登られたそうだ。
かくしてその場所は特定され、謎に取り憑かれた
Y氏とその友人によって掘り返された。
既に宝尾から住人が退去していた昭和30年代のことである。
しかし1m以上掘り進んだところで大きな岩に当たってしまい、
やむなく作業を断念したそうだ。
その穴は今でも残っている。
その穴(笑)
雪は地面の方から解けて空洞状になっていたというから、地熱が関係しているのだろうか
さて、一行はむかんだらから字渓水に残る道跡を辿って
宝尾集落跡へ向かう。
“渓水”というだけに水が抱負で、山腹を歩いているうちから
ザァザァという沢の水音が聞こえた。
弥兵衛の屋敷跡にも水路と池の跡があるが、
ここの谷川はそことは違う水源のようだった。
谷を渡って少し登ると、宝尾集落の字彩霞(さいか)に出る。
寺院跡と云われる一帯をぐるりと一周りした格好だ。
苔生したあの大石垣が見えてくる。
人が住まなくなっておよそ60年、
山上の集落跡は、杉と竹の林の下で徐々に輪郭を崩しながら
落葉の中に埋もれていく。
“尾だら”の寺院跡に堆積した土砂が経た年月は
おそらくその比ではない。
宝尾山縁起によると、この寺院は仏教伝来の時期に
建立されたという。
しかし、現存するその当時の遺物は何も残っていない。
Y氏の願いは学芸員の指導のもとで発掘調査が行われ、
縁起が伝える伝説の真偽がいくらかでも明らかになることだ。
この日も何度かそのことを口にされていた。
投資に見合うだけの成果が、果たしてここに眠っているのか?
薮を払い手をかけた土地が、管理を放棄され
再び荒れ果てるのではないか?
道路も電気も無い山中だけに、
越えなければならないハードルは多い。
現状のように、忘れられ、打ち捨てられた伝説地というのも
それはそれで趣があっていいけれど・・・。
宝尾集落の手前に生えていた樫の木
お手軽な場所にあったせいか、道具の柄に使われまくった様子
なんとも不憫な姿になっていた
宝尾を後にする一行
見て回るのが精いっぱいで、結局ほとんど竹の伐採はできなかった。
残念・・・
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