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2009年10月13日 (火)

谷に流れる御詠歌

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今進めている区の生活改善委員会で、葬儀段取りの文書化と

簡素化が議題になっています。

今回の内容は、来年のお盆用の記事として書いておいたものです。

ちょっと時期はずれになってしまいますが、

委員会の記憶が鮮明なうちにアップしておきます。

 

この辺りで『御詠歌』といえば、西国三十三ヶ寺御詠歌。

「一番にきのくになちいさん・・・」

川上区の大半の家は臨済宗ですが、お盆の最中や葬儀のあと、

逮夜にはいつも般若心経とコレ。

もちろん宗教や宗派が違うと話は変わってくるのでしょうが、

この辺りでの多数派であることはおそらく間違いないでしょう。

 

他県出身で実家が浄土真宗の妻からすると、

みんなして念仏ではなく歌を唱えている光景に

かなり違和感があったそうです。

反対にこちらは、大勢が声を揃えて念仏を唱える光景には

ちょっと引いてしまいます。

声が揃っていれば揃っているほどに。

ウチではまず普段の生活の中でお経を唱えないですから・・・。

実際のところ、家で般若心経+御詠歌唱える回数よりも、

たまに行く妻の実家で念仏上げる回数のほうがずっと多いです。

何しろ向こうは毎日朝晩お勤めをしています。

お勤めの最後は「にょ〜らいだいひのおは〜♪・・・」と、

唄まで歌う念の入れ様。

けれども、始めは馴染みのなかった真宗の念仏も

慣れてくると独特の調子や盛り上がるところもあって、

これはこれで楽しくなってくる。

テンポも早いので、御詠歌ほど時間がかからないのも良い。

ただ、最後の唄はついつい音楽の授業を連想して

いまだにちょっと恥ずかしい。

 

そういう所と比較すると、この辺りは田舎にしては

宗教的な縛りがかなり緩いのだと実感します。

ここ最近はお盆の御詠歌も、テープ音声が先導で

祭壇のある座敷にも昔のように家族が集らなくなっていました。

さすがにこれはいかがなものかと思い、

今年はみんな揃って座敷でお勤めをしましたが。


他の家は今どんな風になっているんでしょうか、

ちょっと興味があります。

 

お盆のやり方は家族とごく近い近親だけが関係することなので、

どう執り行うかは家それぞれ。

ところが葬儀のあとや逮夜の時は

区内の親戚や班・丁内も関わってきます。

そういう時は年長者が一番前で先導を務めるのが

今までのならわし。

「ウチはもうそんなんしてないので、誰か代わりに・・・」

というのでは格好がつかない。

今のうちに習熟しておかないと

将来困ることになるのかも知れない。

 

 

と、こんな風に書いていたら、先日の委員会で

葬儀の御詠歌先導についての話がでた。

この先、今のお年寄り方が少なくなっていくと、

先導を務めることが出来る人がいなくなってしまうのではないか、

現実に周囲にはできそうな人がいない、というものである。

すると、座の中では年長組になる方がピシャリと言われた。

 

できないから省略しましょう、止めましょうとなるのはおかしい。

昔からやってきて、そう難しくて特殊なことでもないのだから、

その時になって困らないよう、今のうちから心がけて

修練を積んでおくのが人としてあるべき姿である。

 

細かな文言は忘れたが、大体こんなニュアンスだったと思う。

見事なまでに正論だった。

私を含め、60〜40代の面々は苦笑いをするほかなかった。

 

 

 
亡くなった祖母が生前神棚に向かって唱えていたのは、

確か「アラトートー アラトートー・・・」

幼児が手を合わせて唱えるのは「マンマンチャン アン」

これってどういう意味で、どれぐらい一般的なんだろうか。

御詠歌に全然関係ないけど、今ふと気になった。

 

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