公民館(木炭倉庫)一
木炭倉庫であるが、永年川上の歴史の象徴のような建物で、
炭焼きには欠かせない存在であった。
俵や縄が詰っていて、炭が表にぎっしり並んでいる。
此の倉庫を見れば川上の景況が一目でわかる存在だった。
其の建物も取り壊されて、戦後の自由主義社会となって、
公民館(住民の教養と文化を向上させる為に設けた施設)と言うような
名の元に建て替えることになった。
勿論国の補助もあるのだが、不足分は村でつくらねばならぬ。
そこで岩ヶ谷の上あたりにあった松の木を売って
当てることになって、売られて出来上がったのが
此の建物(公民館)である。
当時は立派なものであった。
大工さんは中村区の忠兵衛さんで、
区長は作左エ門さん※であったと思う。
つづく
H18.2.5 善琢
このときの区長さんは右門さんだったのでは?という話もあります。
終戦後さして間も無い時分のことです。お酒が高価だったのか経費削減か、かわりに“どぶろく”を作り、それで公民館の落成を祝ったのだとか。
ところがそれが公になってしまい、区長さんが引っ張られて警察だか税務署だかのごやっかいになったそうです。
半世紀すぎた今でこそ笑い話ですが、当時は区内で結構な騒動になったのでは・・・。
この旧公民館も、今の公民館が分校跡に建てられたあと取り壊され、現在その跡は畑になっています。
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