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2009年4月18日 (土)

消えた古代山岳寺院の伝説地に登る(1)

Sakado01

先日、一枚のCD-ROMが届きました。ケースには他区に住んでおられるY氏の名前とメールアドレス。中身は宝尾に関するレポートとたくさんの写真でした。Y氏は宝尾のF家から婿に出られた方で、この辺りでは“宝尾のことならあの人に訊け”と言われるほど、熱心に宝尾のことを調べておられます。
おそらくは本家の法事の席で和尚がこのブログのことを伝え、寄稿を薦めてくださったのでしょう。
“宝尾を取り上げるなら、いつかはお話を聞きに行かなければ”と思いつつ、血縁も面識も無く、二の足を踏んでいた所にこの好機、早速お会いして色々とお話を伺うことができました。

以下はY氏による、地元CATV『チャンネルO』の宝尾取材レポートです。




チャンネルO 宝尾取材レポート


 9月3日の数日前のこと、親元の兄より電話が入り、チャンネルOから宝尾を取材させて欲しいとの依頼があり、私にも直接連絡があるだろうとのこと。兄の言うには、お前のほうが詳しいから連絡するように言っておいたとのことだった。
 早速その晩チャンネルOより連絡があり、お会いして取材の打合せをすることになった。制作担当は藤田さんで、宝尾関係資料を提供、ロケーションプログラム作りを準備された。
 取材日は9月3日(月)、川上公民館に集合することに決まった。スタッフは、カメラマンが藤田さん本人、ナレーターは坂口さん。宝尾にTVカメラが入ったことは過去になく、初めてのことだ。これは画期的なことであり相当の反響を呼ぶのではないかと話すと、プレッシャーですとのこと。宝尾遺跡を紹介するのにカメラが現地入りするなんて感動ものだ。


 9月3日の当日になり、少し不安が首をもたげてきた。果たして、スタッフが重いカメラ・機材とともに現地入りすることが出来るのかな、という心配。いやいや彼らも、いろいろな所に取材に行かれる人だ、失礼なことを思わないことだと自分自身に言い聞かせて納得し、私は自然体で対応することにした。

 午前8時30分頃、自宅を出発し川上公民館に40分頃到着、待ち合わせの9時までには少し時間があるので準備をし、公民館の横手から宝尾山をじっくりと眺めながら古代寺院のあったと言われる伝説地を確認していた。
 しばらくして、チャンネルOの車が到着した。車内に何気なく視線を向けると二人の姿が見えた、一人は小柄な女性のようだ。ドアが開き二人が降りてくる。一人は先日お会いした藤田さんであった。「先日は、どうも」と軽く挨拶を交わした。
もう一人の女性は、番組でよく見かけるレポーターの坂口さん。テレビで見るよりも小柄でスマートな方です。「坂口です、よろしく」と言葉をかけられドキドキでした。

 早速、簡単な打ち合わせを終え「宝尾伝説地」登り口に案内することになった。
出発前に、前方の宝尾山を指差し案内すると、全景撮りのカメラが回り始めた。
まもなくかつてカメラが入ったことない霊地に踏み入れようとしています、さてどうなることでしょうか。
 スタッフの車に同乗し1台の車で出発、現地に到着すると、すこし手前の広場に車をとめる。そこには本日同行してくれる藤原本家の兄が待っていてくれた。ここでも簡単に挨拶を交わし、早速取材の準備にかかる。これからが登山道のロケーションとなる。

 まず、登山道登り口までゆっくりと歩き始める。平坦な農道なので足取りも軽い、カメラ担当の藤田さん、何かつぶやきながら機材を運ぶ、前方に登山道登り口の看板が見えてきた。ここでカメラをセット、ワンシーン撮り。セットの合間に看板の説明、数年前の手作りであることを話す。これから先も、登山道を撮りながらカメラの合間に、収録されない雑談を交えながら登ることになる。
 看板を過ぎるとすぐに谷川がある。足元を気づかい、谷を渡る。これから尾根路までが急坂で、一部悪路もあり難所である。先頭には本家の兄が、私は二番手、ナレーターの坂口さん、つづいてカメラの藤田さん。時々カメラの三脚を道端に降し、少し遅れ気味。吐く息も少し荒い。私は、後をふりかえり、ふりかえりゆっくり気づかいつつ足を進ませた。


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日置坂(宝尾坂)の尾根道 

 申し遅れました、宝尾遺跡入り口までの道のりは約1km。2~3回ほど休息をとりながら登ると約50分程で到着する。登山道はほぼ完全な形で残っていて雑木林の中を通り、春は新緑の香り、秋は紅葉、自然をたっぷりと体験できる、おおいの秘境といえる所である。
 そうしているうち登山道尾根路が見えてきた。ここが最初の休憩場です。もう一つの登山道である鉱生谷方面からの合流点で、そちらの道は今ではほとんど使われていない。全員が到着するのを待って少し休息することになる。 

 息を整えた後、登山続行。カメラの藤田さんは、私たちが登る様子を後方より色々な角度からカメラを回しついてくる。次は二箇所目の休憩所まで続行。ナレーターの坂口さんと雑談を交えながら前進する。次の休憩場が約半分の距離で登山道の中間点となる。そうしているうちに、中間点近くまでたどり着いた。
ところで、F家の兄はわたしたちより先に進んだようだ。私たち3人そろったところで小休止をする。

 息を整え登山続行。次は遺跡入り口まで一気に登ることになる。藤田さんがカメラを回しながら、息を荒くして後方よりついて来る。坂口さんと一言、二言、言葉を交わしながら足を進めるが無言状態の時が長い。先祖がこの山道を幾度も幾度も踏みしめて行き来したことを想像し、頭の下がる思いがした。
 そうしているうちに山道も平坦になり前方に竹林が見えてきた。近づくにつれて多くの竹林になってくる。
「たくさんの竹ですね」と坂口さんが声をかけてくる。
「そうなんです、山中に竹林が繁殖しているところは、かって人が生活していた証拠なんです。竹は生活の必需品だった訳です」と、私は説明をする。

 そんなやりとりをしているうちに、宝尾遺跡の入り口に到着した。
「お待たせしました。やっと宝尾遺跡に到着です。」
全員ハアーと言葉にならないため息が漏れた。私たち三人は、疲れた体を休ませるため休息を取る。これから本番に入る取材の準備をすることとなった。


Daimon

58字 苔紋(だいもん)の平場。大門があったと云われる

 十分な休息を取ったので、体力の回復を感じた。これより直進すると宝尾集落跡、右斜め方向に進むと大門跡、宝尾蔵王権現参道跡へ。参道に登らず右方向に進むと、山鳥屋敷跡、辻堂跡を経て~宝尾峠へと続く。
(宝尾縁起より)

 大門跡地より、宝尾遺跡の案内開始。カメラが回り続ける中、坂口さんの質問に答えつつ宝尾権現の参宮跡へ移動する。参道に板塀があり(石に彫られた仏)、その上に宝篋印塔。カメラは、これらをとらえていく。
 参道を登りきると、宝尾権現の社殿、拝殿跡が目に入る。

(昭和20年ごろ、川上区入り口にある新鞍神社に合社された。当時、宝尾神社解体の折、ご神体の鏡が紛失する事件があって、権現を守り続けてきた藤原家にとっては大変な出来事であった)

Houkyouin

参道脇の宝篋印塔

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宝尾に残る石仏

 権現跡の撮影を終えると参道の右脇を下り、釈迦堂・荒神跡を横切り宝尾集落跡に向かう。
 宝尾には昭和初期まで、藤原氏を名のる四戸が生活をしていたが、終戦後最後の一戸が山を降りたことで、1000年以上続いてきた宝尾の歴史の幕が閉じられた。今では屋敷の平地跡や石積み跡、庭の跡が残るのみとなっている。歴史の重みがひしひしと伝わってきた。
 カメラが集落跡を撮り続けている。いよいよこれから宝尾集落より南西方向に前進する。めざすは古代寺院跡である。

つづく(Y.K)

 

 

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