明治の石積えん堤(7)
探索の手掛かりと台風21号による被害
昨年の10月、南越前町で開催された砂防遺産シンポジウムに参加させていただいた際、環境文化研究所のF氏より川上区の古い砂防施設の資料を見せていただきました。
その図にはまだ未確認の古い砂防施設が複数描かれており、今後の探索を行う手掛かりとしてかなり有用な情報でした。
まとめると、
田井谷
田井谷(瀧巖谷):2基(コモイケ堰堤のみ確認)
庵谷(瀧巖谷):11基(1基のみ確認)
永谷
永谷:2基(妻谷尾鳥岩1・2号堰堤)
脇ノ谷:4基(未確認)
新鞍谷
新鞍谷:3基(3基確認済)
鉱生谷
鉱生谷:1基(未確認)
開墾谷:2基(1基のみ確認)
岸谷
岸谷の大谷:2基(未確認)
岸谷の岩ヶ谷:1基(未確認)
ざっと28基の砂防堰堤が、ここ川上において明治期に作られているようです。
庵谷に11基もの堰堤が描かれていることに驚きましたが、昨年庵谷1号堰堤(仮)を訪れた際は、下流域にそれらしい構造物を発見できませんでした。1号堰堤同様破損・流失し、復旧工事で跡形もなくなった可能性があります。
ただ1号堰堤のさらに上流にも複数の堰堤が描かれており、探索のしがいはありそうです。(ひどい道中になりそうな上、成果も期待薄なのでまったく気は進みませんが)
また永谷の支流である脇ノ谷にも4基の砂防堰堤があり、このうち最も上流に位置する堰堤1基の現存を昨年11月末に偶然発見しました。
ただし平成25年と29年の二度にわたってこの上流で林道が大規模に崩壊しており、その影響か河床が削られて石積堰堤の護床にあたる川底がごっそりなくなっていました。また同時期施工と思われる石積護岸も損傷が進んでいる状態です。
たまたま見つけることができたのはラッキーでしたが、間の抜けたことにこの時撮った写真をうっかり消去してしまったので、春に再び訪れるつもりです。(写真が一枚もないので、とりあえず未確認ということにしています)
この記事を書いたのが平成29年12月。
需要があるかはさておき、平成30年4月29日にようやく脇ノ谷へ行ってきましたので、次回はその報告です。
天端の石がいくつか流出していた新鞍谷2号堰堤。
台風21号による水害で、この損傷がさらに進行していました。
今後同様の水害が発生すれば、崩壊がさらに進行していきそうな具合です。
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