明治の石積えん堤(4)
南越前町の「アカタン砂防」パンフレットを見ると、こちらのえん堤群は巨石の石積による往時の姿を今なお留めており、見応えのある堂々とした姿です。文化庁の登録有形文化財指定も頷けます。
それでも多くの石積えん堤が近年まで存在を忘れ去られ、樹木と雑草に埋もれていたということですので、これらの砂防群をこの状態にまで整備されるのに費やされた時間と労力は並々ならぬものがあったはず。かなりの信念と情熱がなければできない事だと思います。
今年の10月、このアカタンで砂防遺産シンポジウムが行われるそうで、県下で同様の石積砂防が残るこの川上地区からも参加を請われました。
ただ砂防えん堤の保存活動はもちろん、その価値も意義も地域で認識されていないのが現状です。
川上の石積み砂防えん堤群にそこまでの文化的価値はあるのか、相応の労力の投下は現実的に可能なのか、という問題についてそのうち答えを出さなければなりません。
人にかたって(相手にして)もらえなければどうしようもないことなので。
記事は福井県の砂防沿革大要を参考文献としております。えん堤の名称や記録については、環境文化研究所の田中氏にご協力いただきました。
ここ若狭地方は明治初期において敦賀県だったり滋賀県だったりと紆余曲折ありましたので、他にも記録がありそうです。特に鳥岩堰堤については滋賀県時代に「北の大堰」と呼ばれていたとのお話もあり興味深い…
砂防遺産シンポジウム2017
その他の石積み砂防えん堤
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