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2010年5月12日 (水)

最後の炭焼き窯?

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終始楽しそうに作業されていたスケダイさん&オニシさん


道路の拡幅に伴って移転することになった

弥次右衛門さんの炭焼き窯。

新たに作る窯を林明会の窯にする計画で、

目下林明会製材所横に建設中です。

見たところ前の窯より大きいうえに屋根も立派、

窯の外壁もブロックで囲んだ、かなりしっかりした造りです。

窯部分を作るのは、山中に窯をうち

炭を焼いた経験のある最後の世代が主役。

このあと続くのは、炭を焼くことなく勤めに出た世代。

ガスや灯油に取って代わられ、

需要の激減で廃れてしまったとはいえ

炭焼きは現金収入を得るための川上の主要産業でした。

中学を卒業するとナタを腰にぶら下げ

山に入る父親の尻に付いて回って山仕事を覚え、

地形を覚え、食べられる野草や木の性質、

山の境、谷の名前を伝え聞いた時代はすでに過ぎ、

もう日常生活でそれらの知識が必要とされる場面は皆無です。

知らなくても生きていける、知っていても食えない、

そんな技術・知識の取得優先度が低いのは仕方のないことで、

これら何世代にもわたって積み重ねてきた経験の集積も、

その多くが次の世代に受け継がれることなく

やがて忘れられていく運命です。

これがおそらく川上で最後の窯になるだろう、

作業されている方の中には、そういう思いもあるのでは・・・。
 

今回この窯築きの工程を見ることができ

いろいろ話が聞けたのは、まだ幸運だったと

いえるのかも知れません。

やろうとさえ思えば、かなりパチもんくさい出来なら

なんとかなりそうな気が・・・

※一般的には窯を作ることを「窯を筑(つ)く」と言います。
 ですが、ここらでは皆さん「窯をうつ」と言っています。

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屋根を撤去された先代の窯

 

 

土盛り&締め固め

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外壁になるブロック壁の中に、窯のカタチに合わせて型枠を作り、
赤土を敷きならして締め固めていく。
昔の山中の窯は型枠を使わずに一面を締め固め、あとで窯内をまるごと掘り抜かなければならなかった。
しかも締め固め機械なんてないから、カケヤで何度も何度も叩いて土を固めるのである。
山裾ならまだしも、山深い共有山や峠を越えたような場所で窯をうつのは、気が遠くなるような重労働だったに違いない。

この土は本郷の関電社宅奥の山を切った際の排土で、
窯に使う赤土は少々石が混じっているほうがよいとのこと。

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炭にするための原木も切り出しておく(写真右)
今回は久左さんの山から
雑木林は30年もすれば復活し、また炭の原木になるというサイクルだった

 

炭焼き小屋の建前&原木の運搬

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屋根ができたらもう雨が降っても大丈夫(写真左)
太い原木は機械を使って割る(写真右)


 

窯内の整形

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型枠を取り除き、窯内を切り欠いて整形する。
削った土は壁の上へあげておき、あとで天井部分に使う。
昔の窯の形は円型や卵型だったが、今回のこれは三角形に近い
助大さん方式。
焚き口付近の炭は灰になりやすく、末広がりになるこの形の方が効率が良いそうだ。
なるほど・・・。

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奥の切り込みは煙突を据えるためのもの

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スコップやクワで壁を切り欠いたあとは、このような棒で壁を叩いて締め固める
軽くカーブしていて、叩くときに手を打たないように工夫されている

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煙突を土で埋め込み、焚き口にブロックとレンガを積み上げる
焚き口は幅50cm


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切りそろえた原木の出番は次回


とりあえず昨日までの作業はここまで・・・

 

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