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2009年10月 1日 (木)

田井谷の桂の大木

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9月の初旬、田井谷の山中にあるという大きな桂の木を見に行きました。

その大木、小脇谷(こわぎだん)を遡り、少し山腹を登ったところにあるということは聞いていたのですが、何せ草木が生い茂る時期のこと。

見つけるのに手間取るのも面白くないので、父に案内を頼みました。
 
 
桂の大木へは、作業道の突き当たりで車を降り、そこから徒歩になります。

右の谷は滝ヶ谷、左が小脇谷。

滝ヶ谷とは違いこちらには道がないので、沢沿いの歩けそうなところを進みます。

すぐに山の神谷との分かれになりますが、そこで不意にマムシと遭遇。

 

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父の世代が、おそらくマムシを喜んで?食べる最後にあたるそうで、こういうときの手際が非常に良い。

落ちていた木の枝で頭をブスリと刺してナタで切断、皮を剥いで、切断部から背骨内側のスジをピリリと引き剥ぐと、内蔵一式が薄い腹膜にくるまれたままきれいにとれていました。

マムシは精がつくというので、夕食時に時々一切れ出てきては食わされてますが、解体を手早くすませて干さないと、生臭くなって食えたもんじゃなくなるようです。

ちなみにもっと上の世代の強者になると、解体現場で脈打っている心臓をそのまま生で食べるという・・・。

母が畑仕事をしているとき、隣の畑のお婆さんがそれをしているのを二度ほど目撃、かなり引いたそうな。

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ものの1分でこの状態。これをカラカラになるまで干して、すこしずつ食べます
持っているとじゃまになるので、枝に刺しておいて帰りに回収


小脇谷へ入ると、そこからはほぼ沢登りになります。

谷には上流から流れてきたのか、栃の実の果皮をいくつも見かけました。

でも肝心の実は全部鹿が食べたあと。

それを証明するかのように、大きな鹿が目の前を横切りました。

どうやら食事中だったようです。

谷の両側に獣道がついていたので、鹿の周回コースになっている模様。

 

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行く手を遮る倒木を切り払って進む
両側の斜面はとても急なので迂回は不可能

 
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歩き出してから25分ほど、左手の山腹に大きな木が見えてきました。

数年前、たのしい村づくりの会が周囲の雑木を切り払い、見通しを良くしたそうです。


桂の大木は一本の太い幹がドンと立っているのではなく、大きな幹は二本。

周囲から無数の細い幹が育ってひと塊の樹形を成しています。

苔むして一番古そうな太い幹が谷側に傾斜して、地面から数mのところで二股のようになっていました。

積雪で幹が傾いたあと、根元からさらに幹が伸びてこのような姿になったと思われます。

対岸の斜面に生えていた栃の木も同じように二股になっていました。


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この角度がいちばん太く見える(幹周は約12mちょいあります)

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対岸の斜面に生えている二股状態の栃の木


この桂の木とは別に、同じ田井谷系の庵谷(いおだん)にも桂の大木があったといわれていて、こちらの桂の方がより巨木だったようです。

その大木が高浜の港に入る船の目印になったという言い伝えがあるのですが、位置と標高の関係上ちょっと無理がありすぎる気がします。

ところで、この“庵谷”という地名、昔この辺りにも草庵かお堂があった名残なのでしょうか。ちょっと気になります。

 

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田井谷の桂の大木を参照しているブログ:

コメント

「庵谷」…素敵な地名ですね。

私も子供の頃、多分30年以上前のことですが叔父が眼の前でマムシの皮を剥ぎ、生胆を飲んだ姿が忘れられません。

皮を剥がれたマムシが吊るされたままビラビラと動いていた姿も眼に焼きついています。

マムシ君は骨と筋肉だけの状態なのに、帰りに回収したときもまだ動いていました・・・。

夏場にマムシを解体したとき、内蔵を引き剥いだ拍子に腹の中の子マムシがいっぱい這い出てきたという話を聞いて、さらにドン引き・・・。

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