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2009年7月29日 (水)

血の池と藁縄

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七月末の田井谷。今年の梅雨明けはまだこない。
昔はこのずっと先まで田んぼがあった。

 

田井谷について、以前こんな話を源右衛門さんから聞きました。

鹿野の小学校へ通っていた時分ということですので、終戦の頃だと思われます。
下校の時刻、校門の前に藁縄が置いてあって、その縄を川上の方へ帰る児童が引いて帰ることがあったそうです。

その縄が置かれるのは、血の道で女性が亡くなられたときでした。

縄の長さは十数mあって、数箇所に朱印を押したお札が結び付けてありました。源右衛門さんは学校帰りに何度かその縄を家の前の田井谷口まで引いて帰ったことがあるそうです。
そこから先は翌日谷の奥へ田仕事に行く大人が引き継いで横谷あたりまで引き、さらに山を越えて炭焼きに行く男たちが峠まで縄を引っ張り上げたということです。

なぜそんなことをするのかというと、血の道で亡くなると血の池に落ちて仏さんが苦しむので、そこから引き上げて成仏をしてもらうためだとか。だからできるだけ高い場所である峠まで縄を引く必要があるのです。

県道の通る永谷坂ではなく田井谷なのは、その峠を越えて仕事に行く人が多かったからでした。下校時間に門の所に置かれていたのも、集落からそこまで誰かが引っ張ってきたのだと思われます。

夕方、子供たちが引っ張るその縄に出くわすと、お婆さんなどは両手を合わせて仏さんの成仏を願うのだそうです。
産みの苦しみを知り、赤子を残して死んで行く無念さが解る故の敬意なのでしょうか。

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田井谷の尼公坂
上の写真の雲がかかっている辺りです。

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