水辺のいきもの・田貝
“タガエ”と云っていた。
下三森の長兵衛隠居の川むかいに
川上の伊左衛門の田圃があって、
その水引き、水路の中に生息していた。
泥の中だから探すのに難儀をした。
長さが六、七糎、幅が三、四糎、
厚さが二、三糎はあっただろうと思う。
淡水の貝にしてはとてつもなく大きいのでびっくりした。
もうこのような嘘のような話しは
知る人も無くなっていると思うが、ほんとうの話しで、
話しだけでも残しておきたいものである。
水路も昔しの侭であれば
殻くらいは掘ればあるかも知れないが、
コンクリートに変っていればおしまいである。
H17.4.16 善琢
今、現役の水路はすっかりコンクリートになっています。耕地整理も行われたので、以前の風景とはすっかり様変わりしているはず。さすがに田貝は見た事ありませんが、以前はそこらじゅうにいたタニシやニナを見かけることは少なくなりました。子供の頃日がな一日遊んでいた河原も、今ではヨシがびっしりと生い茂り、気軽には立ち入ることのできない場所になっています。 子供たちだけで山や川に遊びに出かけ、上級生の監督のもと暗黙のルールに従って遊びほうけた光景はもはや過去のものになってしまいました。
学校と習い事で時間に追われるような子供たちの一日は、端で見ていてとても忙しそうです。児童数が減ったこともあって、何人もで連なって遊ぶ機会も減り、野山の遊びで上級生が担っていた役割を、怪我をしては大変と親が代わりを務めるか、勝手に山や川へ行く事を禁じるほかないのが現状です。ただ、休日に外で遊ぼうと声をかけても誘い方が悪いのか、当の子供はあまり乗ってはくれません。
今の子供たちが大人になったとき、懐かしく思い出すのはどんな記憶なのか、脳裏に広がるのはどんな光景になるのか。
もっともそんな心配をよそに、当人たちはものすごく濃密な時間を過ごしているのかも知れませんが。
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