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2009年2月18日 (水)

山を越えた波切不動明王

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冬の金剛院本堂

舞鶴の鹿原にある金剛院の本尊は永く秘仏とされてきた波切不動明王です。今も普段は秘蔵されていて、2月3日の節分祭の法要の間だけ開帳されます。
この不動明王は白河天皇による金剛院の再興の折、若狭の国から勧請されたという謂われがあります。

宝尾にもその不動明王にまつわる伝説が残っており、既出の「宝尾山縁起」に金剛院の伝承とかなり共通する記述があります。そこには宝尾の山中に野ざらしとなっていた不動尊を、帝が夢のお告げに従って丹後の国河原(鹿原)に勧請されたことが書かれています。
このことがあったからでしょうか、口伝によると明治維新の頃までは宝尾から金剛院へ、山を越え年始の挨拶に行くのが慣習だったそうです。

(宝尾藤原宗家は上座に通され、もてなしを受けたと伝わっています。同じような習わしは尾根を越えた廃村大田和にもあって、本堂を大田和から中山寺に移築したという縁で、昭和の頃まで寺に納める萱を背負い年始の挨拶に行っていたそうです。)

 

数奇な運命を辿ったこの不動尊。川上の人も話には聞いていても、実際にご覧になった方は少ないのではないでしょうか。
 
 
 

山を越え国境を越えて現代に伝わる波切不動の伝説。
「宝尾山縁起」は次のように伝えています。
 
 
一乗寺の絶破によって、宝尾の山中に沢山あったお堂は修繕することもままならず、時が過ぎるに従い次々に朽ちていきました。烏とまらずのお堂には観世音菩薩像が安置されていましたが、五色の雲に乗って何処ともなく去ってしまわれ、脇立の不動明王と毘沙門天もお堂が崩れてしまったので田白の壇にあった辻堂に移したといいます。(久しくその辻堂にあった両尊ですが、その後青郷の中山寺に観音堂が新たに建立され、そこへ移されたと縁起は伝えます。)
他にも数多くの仏像があったといいますが、方々に勧請したり辻堂に納めたもの以外はみなお堂と共に朽ち、山の土と化していきました。
 
 
さて摩野尾山三十六坊の祈念堂の本尊だった波切不動明王も、お堂が崩れその跡に野ざらしになっていました。
鳥羽上皇の御代のことです。京では御門が長く病の床に臥されておられました。名医にかかり祈祷も行われましたが、快復の兆しがないまま月日が過ぎていきました。そんなある日、御門の夢枕に不動明王が現れたのです。北海の方角から紫の雲がたなびいてきて、その雲の中に現れた不動明王が申されるには、「若狭国宝尾山に大伽藍あり、そこに安置される不動なり。今は寺院も絶破に及び人跡不到の荒山となり、この身に雪霜雨露を受く次第。願わくば丹後国河原金剛山に紫の庵を建立し、以て不動を勧請せば三日を過さず病は平癒ならん。」そう言い終わって、火炎の後光を輝かせて北へ消え去られたのです。

夢から覚めた御門は早速勅使を立てて宝尾を調べられました。果たして不動尊は夢のお告げ通り、後光傾き彩色は崩れて薮の中に雨露に濡れてお座しました。勅使は大いに驚き、早速このことを申し上げると御門は大層お喜びにになり、急ぎ平弘盛を遣わして河原の金剛山に七堂伽藍を建立し、金剛院を再興することにななりました。

(金剛院の伝承とは「白河天皇」、「鳥羽上皇」のところで異なっていますが、院政の始まったややこしい頃のことなので、縁起の記述に錯誤があるかもしれません。実際縁起の後半では「白河殿」に願を上げ云々のくだりもあります。)



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秋の金剛院 三重塔婆


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金剛院のご本尊「波切不動明王」
思っていたより大きな像で迫力がありました(小柄な大人の背丈ほど)


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天地眼、牙上下出の左右非対称のお顔です


この記事を作るにあたり、舞鶴の金剛院に連絡を取り、節分祭の折にご本尊を拝見させてもらうことに。これまで縁のないお寺を訪問するのだから何かお供えを持っていかねばなるまいと思い、善應寺の和尚様に相談したところ「実は前から見てみたかった」とのことで一緒に行く事なりました。さらに和尚と会合で同席した杉左近先生も話を聞いて加わり、当日は三人で金剛院を訪ねました。
節分祭という特に忙しい日に応対していただきました和尚様には、大変お手数をお掛けすることになりました。
この場を借りて改めてお礼を申し上げます。(編)

 

  金剛院: http://ujimaccya69.hp.infoseek.co.jp/

  写真にもありますが、秋の紅葉時期がとても綺麗です。

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山を越えた波切不動明王を参照しているブログ:

コメント

この度は当山をご訪問いただきありがとうございました。
かっては波切不動様のご縁で川上地区と当山との間には交流があったとのことですがいつのまにか廃れてしまったとのことです。
今後もご交誼頂ければ有難く思います。
川上地区の皆様におかれましてはどうぞお気軽にご参詣頂ければと思います。
                                             合掌
                                金剛院住職  九拝

今回のお取り計らいに感謝申し上げます。
お寺へはこれまで何度か足を運んでおりました。
また新緑や紅葉の季節に訪れたいと思っております。

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