的場橋と左近谷
的場と左近谷に架かる県道の橋を「的場橋」と呼ぶ。
正式には“川上橋”で、親柱にもちゃんと
そう刻まれているはずだが、そっちはそれほど馴染みがない。
“的場”というからには昔はそういう場所だったのだろう。
今では様変わりして当時の面影はないけれど、
明治33年から大正13年まではこの山裾に尋常小学校があった。
それ以前は川向いの左近谷に校舎があって、
そちらは今でも竹薮の中に石垣が残っている。
その谷のふもとにある九良右衛門家は室町時代、
付近を治めた一色五郎守邦なる武士の家老だったという。
屋敷背後の左近谷頂上には小規模ながら削平地が残り、
川上の入口である新鞍神社の辺りを一望できる。
ここなら尾根伝いに逆谷の砦へ入ることもできただろう。
正面は佐分利川、東側は鉱生谷川に囲まれた立地も
それなりに城砦的要素を満たしているように思える。
倉にそういったことに関する文書の類いが残っていないか
訊いたのだけれど、二度洪水で家が流されていて
残念ながらそれらしいものは何にもないとのこと。
盛土がほぼ出来つつある。 大きな車が通ると折れるのではないかと不安になるほど ぐわんぐわん揺れた的場橋も、 もう何年かすると新しく架けかわり、 見慣れたこの景色も大きく様変わりするだろう。
左近谷頂上付近からの眺望(20年くらい前の写真と思われます)
現在県道の工事が進み、左近前橋から的場橋間の
28年の台風によって流された旧的場橋(写真左)と
その後の新橋建設工事(写真中央・右)
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的場の橋で思い出しましたが、その昔、70何年か前橋の上手詰めに少しの広場がありそこで盆踊りがありました。灯りは何であったのか忘れましたが、九呂左のおんじゃんのええ声、ええ文句(蚊帳の外)、1晩きりだったように思い、懐かしんでおります。 追伸 写真も見せてもろとりますが、プライバシー云々ですが、右側の家、左の小屋、人の顔どこのおんじゃん、どこの兄やんですかと、お尋ねする方法は。携帯とかメールか電話とかでないやろかのう。楽しみが倍増しますんで。
投稿: 日誠 | 2010年12月22日 (水) 11:46
いつも見ていただきましてありがとうございます。
そういえば、盆踊りの場所が変わるくだりが善琢氏の絵手紙の中にもありました。
http://kawakami-ku.mitelog.jp/blog/2010/09/post-1f7d.html
広場というのはたぶん旧尋常小学校の跡地なんだろうなと、想像しています。
写真についてはメールにてお返事致します。
投稿: 管理人 | 2010年12月22日 (水) 13:56