ズガニ淵供養塔
個人発行の小冊子より
県道永谷坂手前道路向に供養塔があることを聞き、4〜5年前に写真を撮り持っていた。ある日、急に思い出して、川上区で長老で最も昔のことをよく知っておられる中村字の渡辺大蔵さん(当時89歳)を訪ねた。
以前から心安くしていたので、世間話もよくはずみ、長話しをしていたけれども、もうぼつぼつよかろうと思い写真を見て貰いながら、供養塔の話をした。
写真には、『南無地蔵大菩薩』、左に『供養塔』と書いてあり、これを建てた時期は、『文政11年』(1829)今から164年前の文字、今もはっきりと読み取ることができ、しかも高さ約2m、幅1.2m実に立派な供養塔。
渡辺さんのお話は、
そりゃのー、わしも人様に聞いたのは昔のことで供養塔のあるところから約100mばかり下ったところにズガニ淵というところがあり、その川べりにいつもズガニがいたそうな。
ある日、目の悪いお坊さんが今のような広い良い道もなく、そのズガニ淵ぞいに差しかかったところ、大きなズガニが、じぃーと見ていたので、お坊さんが、『おーい、ズガニさんよ、ちょっと尋ねるがのお、丹波に行くのはどの道を行ったらよいのか』と言うたところ、いつもなら上の道を行くよう皆んなをだましていたズガニ、この坊さんには、何を思ったのか、じぃーと考えていたが、しばらくして、こちらを向き、『そりゃのお 縦にジョロジョロ横にジョロジョロ』と言ったそうな。
それを聞いたお坊さん負けてたまるかと『そりゃーおまえのことじゃ』と言ったところ、そのズガニは、『ああこりゃだめじゃ』と、縦か横かしらぬが、ジョロジョロと遠くへ行き姿を消したそうな。
それまでは、みんなズガニに騙され、上の道を行き迷ったが、それからは、お坊さんのお陰でことなく丹波に行けるようになった。今、その道は『古坂』と言っている。
このズガニとお坊さんの謎かけ論の話もいつ頃のことであったかは、今では誰も知る人もないが、文政時代より相当昔の話であったらしい。それを思い起し、お坊さんの供養をするため建てられたとわしは聞いておる。
と言われ、早速、供養塔のある所へ行ってみると、当時世話人として川上の三谷大江、渡辺久左衛門、小谷右門、橋本久右衛門、三谷次右門、渡辺源右門、野口弥次平、そして永谷の平兵、以上の方が文政11年10月24日に建てられたことの文字がはっきりと見受けられました。
そしてこの供養塔は、大正10年に道路改修のためズガニ淵から引き上げられ、今の場所に祭られてあるが、再度、県道大改修によって道からも遠くなり、村人も近付かなくなり、木が生い茂り雑草の中にポツンと取り残されています。そんな姿を見て、淋しい思いをしつつ、つたないこの筆を擱きます。
(1993年 夏 小谷助左衛門)
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この記事が書かれた当時、供養塔は県道から谷を挟んだ向かい側の山中にありましたが、その後の県道工事(平成6年頃)の際に再び移され今は県道のすぐ脇に据えられています。<MAP:C-4>
このほかにも、淵に棲んでいた大きなズガニが通りかかる旅人を度々襲うので難儀した、という言い伝えもあるようです。(編)
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